2008年10月31日ルカ福音書14・1-6「掟を超える愛ー安息日に水腫の人を癒す」団体黙想、鎌倉にて

14:1 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
14:2 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
14:3 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
14:4 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
14:5 そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
14:6 彼らは、これに対して答えることができなかった。

今日の福音書は、いわゆる、安息日論争と言ってですね、イエス様がこの、安息日の規定を破ってしまうような話になるわけですね。まあ、私たちにとっては安息日といってもなかなかしっくりこないと思いますが、ただ、ユダヤ人にはとっても大事なものなんですね、安息日というのは。モーセが受けた十戒の中のひとつにも入っていて、安息日を聖なる日として、仕事してはいけないとしているんですね。だから、非常に大事な掟であって、それは僕は間違ってるとかと言うことは、まったく思わないですが、やはりこの、安息日を守るということに対して、なんとか、だんだん神経質になってきて、いろいろな解釈とか掟とか、できてしまう、というような面がどうしてもできてしまうということはあるんですね。

たとえば、イスラエルに巡礼に行ったことがあるんですが、その時にちょうど安息日になったんですね。土曜日ですけども。安息日で一番大事なことは労働してはいけない、働いてはいけない。働いてはいけないってことは、もちろんそれはそうだと思いますが、なにが労働で、なにが労働ではないか、という話になるわけですよね。結局はボタンを押したりすることも労働だと、結局今の律法学者たちが集まって決めて、そういうことになってるんですね。ボタンを押してはだめなんですね。その、安息日に。だから、その、泊まったホテルですが、結局安息日用のエレベータってのがあるんですね。エレベーターに乗ったらボタンを押さないとだめなんで…何階、とか。閉まる、っていうのは、別に押しても押さなくてもいいんですけど。だから、安息日用のエレベーターはボタンを押さなくてもいいように、全階止まるようにできているんです。イスラエル人の泊まるホテルは全部そうなんですよね。極端になると、ホテルで朝食食べる時に、ベンディングマシンという…ボタン押してコーヒーとか、紅茶が出てくる…安息日の朝に行ったら、機械がないんですよね。どうやってコーヒー飲んだらいいのか、って…。ボタン押すからだめなんですよ。だから機械が置いてない。で、おかしいな、と思ったら、アラブ人のウエイターが来てコーヒー注いでくれて…まあ、他の方法はあるんですけどね。そのようなことをいろいろこう、やったり、極端になってきたらもう…安息日というのは金曜の夜から始まるんですよね。だからこう、なんていうんですか、安息日に入ったとたん、ボタンが押せないんです。だから、電灯はつけておかないとだめなんです。その前に。電灯というのはみんなボタンだから。トイレの電気もつけとかないとだめなんです。消すことはできるんだったかな…。点けることは労働になっちゃうから。火をともす、ということは労働にはいっちゃうから、ボタンを押して電気をつけることはできないんですね。もし忘れていたら、夜中中真っ暗な中で過ごさなければならない。で、ついでに、冷蔵庫開けたらランプがつくんですよね、だいたい。あれもついたら困るんで、安息日に入る前にランプをゆるめてつかないようにしなくちゃならない。ま、労働したらいけないというところからそのような話がどんどん広まっていく。だからイエス様と、こういう問答になっちゃうわけです。病気を癒すということは労働に入るというのが律法学者の考えなんですね。そういうところが、イエス様の生き方とりっぽ学者の考えが対立するんですが、私たちもよく見なければならないと思うんですが、イエスの生き方を。イエスの生き方と、それとなんていうか、こう、いろんなことがぶつかってくるということになるわけですが。もちろん、私たち日本人には律法はない。けれども、いろいろなルールはあるわけです。文章化されてなくても。ルールとか、やり方が決まってるわけですね。それを越えてしまうと、それは、まあ、多くの場合失礼にあたるわけですよね。それは外国でも同じで、外国でもその国によって、文化があって、それが決まってるわけです。それを破るというのはなかなか難しいことになるんですが、そこで私たちに問いが出てくるんですよね。イエス様の生き方は愛の観点なんですよね。愛から、この病人を癒すってことが、安息日であろうとなかろうと、超えてるから、そういうことをやるわけですよね。第一原則はやっぱり、愛に従っていくということがなければならない。で、残念ながら、特に日本人がそうかもしれませんけど、結局前例がないことはできない、とかですね。今までこうだったからできません、とか、そのようなものに、私の考えに囚われている、ということがあると思うんですが、やっぱりイエス様のようにそれを超えていかなければならない。それでないと、やはりミッションにはならないと。だから外国に行って、外国で、あるルール、やり方がある。でも、そのやり方でばっかりやっていたら、結局進歩がなかったり、改善されない。だからやはり、愛の心を持って、それを超えていく力が働かなければ、ミッションに行く意味がないわけですよね。まったく。現地と同じようにやっていくだけならば。そこを超えていくイエス様の力が、このような、創造性、というかな、愛に基づいた行い、でも、それは明らかに彼らの慣習を破って良いものが生まれてくる契機のわけですね。そのような創造性ということが私たちにとって必要だと思うんですね。でも、他方言えるのは、なんでもかんでも、習慣を破ればいいというものでもない。結局もうひとつ大事なのは、識別なんですよね。彼らのやり方とか、その国のルールがあるわけで、だからまあ、イスラエルに行けば、ユダヤ教徒でなければ別にいくらボタンを押そうとかまわないわけです。ついでに言うとタバコも吸えないわけです。タバコは火をつけなくちゃならないから。イスラエル人で、真面目な人ですよね、その、ルールを守ってる。そういう人はどうするかっていうと、人につけてもらう。ユダヤ人以外の人に。ちょっとタバコの火をつけてください、と。人がつける分にはいいですよね。それで、タバコが吸えるわけですが、とにかく、いろいろルールが決まっているわけですね。だからそれをむげに破っても、また、いけない。だからイエス様は、安息日を超えてますが、安息日そのものを否定している箇所はどこにも出てこない。つまり、イエス様は文化を否定しているわけではまったくない。彼もユダヤ人だったし、ユダヤ教の意味もわかっていたし、安息日の意味をよくわかっていて、尊重したうえで、たとえば、ぶつかるところはやはり、超えなければならない。だから私たちもふたつあるわけですよね。ひとつはやはり文化、意味なりを尊重する。やり方とか、仕組みとか、尊重したうえで、でも、それを超えていく、愛の原則から超えてく面も必要だということですよね。それは、テンションというか、やっぱり緊張関係にあると思います。それほど簡単ではないですけど、でも、ミッションというのはそういう意味があると思いますよね。つまり、まったく現地とおんなじだけにやってるのはいいとも思わない。でも、彼らのやり方を無視してやることも、まったく違うわけで、やっぱり、違うものと違うものが交わることからよりいいものが生まれてくる。だからわざわざ外人が外国に行くわけですよね。だから、日本にしても、外国から宣教師が来たり、あるいは、みなさんだったら外国に宣教しに行く。それはまさしく、より豊かになるためですね。よりいいものをほんとうに作り上げていくことだと思うんですよね。第一朗読で、フィリピの教会への手紙にですね、1章の最初あたりのところですけれども、なかなかいいですね。「知る力と見る力とを身につけて、あなたがたの愛はますます豊かになり、ほんとうに重要なことを見分けられますように」と書いてありますよね。まず、大事なのは、知る力と見抜く力を身につけて、なにを大事にしなくちゃならないのか、なにを変えなければならないのか、なにを尊重しなくちゃならないのか、なにを話し合って、より良いものに作り上げていくのか、知る力と見抜く力がいるわけですよね。で、それを使いながら身につけて、あなたがたの愛がますます豊かになり…だから方向性は愛が増す行いですね。あきらかに。人々の幸せが増していく、愛が増すなかにしか神のみ旨はないと思います。自分もそうだし、かかわってる人も、愛がましていく。そういう中で、本当に重要なことが見分けられる。そして、わたしたちが本当に重要なことをイエス様にならって実行していけるように。福音書の方ではイエスが癒されるということですね。病人が癒される、ということですね。そのような神の働き、神の力が、ひとつの実りとなってあらわれてくる。やはり愛があるところには、明らかに前進というか、よいこのが、やはり実りが生まれてくるだろうと思います。私たちが、そういう実りをもたらすことができる者となっていけるように、そのためには、まごころも必要だし、考えることも必要だし、観察することも必要。見分けていくことも必要だし、決断して行っていくことも必要だと思います。ま、実りをもたらすことの中で、さまざまなステップがあると思います。みなさんの活動の上に、このような、イエス様の働きのようなものが、聖霊の実りのようなものが、ありますように。

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