ルカ福音書2章1-14節「小さな光が大きく輝く時」

hanafusafukuin

2008年12月18日 ルカ福音書2章1-14節「小さな光が大きく輝く時」ミッション校のクリスマスのためのミサ 藤沢

2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

今日はイエス様の誕生を皆でお祝いしています。今の福音書はイエス様が生まれた時の様子を語っていますが、イエス様は宿屋に泊る場所もなく、飼い葉おけに寝かされて、非常にひっそりと貧しい中でお生まれになった。この時のイエス様の姿は、ほんとうに小さなひとりの赤ん坊であって、特に皆の目をひくものでもなかったであろうと思います。ところがいま、2000年たって、イエス様の働きがどれほど大きなものであるか、ということ、世界中の人が、なんらかのかたちでクリスマスを祝うような、大きなかたちで祝われるようになりました。

今日の第一朗読ですが、一番最初のところに「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の影の谷の地を歩むものの上に光が輝いた。」とあります。この大いなる光、というのは実際はイエス様のことをさしてるわけですね。闇の中を歩んでる人が非常に多くいて、イエス様によって照らされたことを言っているんだと思います。ただ、イエス様が生まれた時に、それが大いなる光かどうか、といえば、非常に小さな、ただの赤ん坊の、貧しい家族に生まれた、ごくごく小さな光だったわけですが、それが月日がたつに従って大いなる光として輝くようになったわけです。クリスマスになって、光ということで、皆さんも一番思い出すのは、多分、街中に、特に夜に繁華街で輝くきれいなイルミネーションですね、クリスマスセールとか、なにかクリスマスの雰囲気を出すために、今やいろいろな町で夜になればきれいないろいろなイルミネーションの光が輝いている。あれが最近ではなにかクリスマスのシンボルのようなものになってるんじゃないかというふうに思います。約10年くらい前なんですけど、ミッションスクールの大学でですね、キリスト教の大学で働いていたことがありました。その時に何人ものクリスチャンの教え子というか、学生がいて、かれらと様々な活動をやったりしていたんですね。一人の学生、男性だったんですけど、彼も非常に積極的にいろんなこと、活動している仲間だったんですね。クリスマスが近づいた時に、彼が突然ですね、言い出したんですね。その大学では、それまで学校の中にイルミネーションがなかったんですね。クリスマスで、商店街にはイルミネーションがあるんだけど、学校の中は、キリスト教の学校なんだけどイルミネーションがまったくなかったんです。そしたらその学生が、どうしても学校の中にイルミネーションを作りたい、ということを彼は言ってですね、同級生も、そして私も、まあ、イルミネーションなんかいいだろう、という気持ちで、誰も賛成しなかったんですね。そして、ある意味、みんな反対して、私なんかも反対して、周りの人、皆協力しなかったんです。でも、彼は、学生部といって、そういう学校の係のあるところに自分で行って、いろいろ話合いをして、そして、小さな予算を付けてもらって、そして彼がひとりで頑張って、その、クリスマスには、小さな一本の木に、ほんの3列くらいの小さなイルミネーションが灯ったんですね。それを見て、およそ、商店街のきれいなやつじゃなくて、ほんとに少し、こう、木に光がついているかなというかんじでしたけど、彼は一生懸命努力して、学生部とか、なんとか、ひとりでやったんで、お金もそれほどなかったでしょうから、少し、小さなものが灯ったんですね。それを見ながら、なにか、彼の熱意というか、前向きの姿勢ということに、なにか非常に心を打たれた気がしました。その、彼がですね、卒業してから、たまたま、この学校のようなミッションスクールの女子高の先生になったんですね。で、彼はまあ、そこで頑張って数年間働いていたんですが、26歳の時に突然不慮の事故で亡くなったんですね。ある日突然、ゴールデンウィークの時に、彼は亡くなってしまった。それは、私や、友達や、あるいは、このようなミッションスクールの先生だったんで、みなさんのような高校生、中学生の人も、すごいショックで、大きな悲しみに包まれた、非常にショッキングな出来事だったんです。それはそれで仕方がない、人間の命がどれぐらい続くのか、誰も決めることができない。その死を、生徒も先生方も、私のような、友達も、皆、その死を受け入れざるをえなかったわけですね。その後、それからもう、数年たちますが、クリスマスに、その、彼が通っていた、私が働いていた大学に行くことがあるんですが、その、クリスマスの時期になったら、イルミネーションがですね、毎年毎年、だんだん大きくなってきてですね、彼が最初にほんのちょっとしたイルミネーションを灯した…そのあと、今年も見ましたが、何年間か何年間か、それからもう、5~6年か、7~8年たちますが、だんだんだんだん、そのイルミネーションがふえていってですね、今やその大学の中の構内に入ると、クリスマスのイルミネーションがものすごくきれいに、何本もの木、低い木にもかかるようになったんですね。そのイルミネーションの素晴らしい光を見るたびに、僕は、彼のことを思い出すんですね。たったひとりで、皆に反対されて、それはやめたらいいんじゃないかとか、皆に馬鹿にされて、私も賛成しなかったし、ほとんど同級生も賛成しなかった。でも、彼が、ひとりで、一生懸命、これが自分のやることだと、ほんのちょっとしたイルミネーション、それはあんんまり素晴らしいものではなかったけれども、でも、彼がそれをやったおかげで、今や、彼が灯した小さな光がですね、クリスマスになると、その大学の構内に、いっぱい、いっぱい、光が灯るようになったんですね。ほんとに、その、今のきれいな…ほんとに素晴らしくきれいになったんですが、その、イルミネーションの最初は、ひとりの青年が、ひとりで、一生懸命やった小さなイルミネーションが、まあ、最初だったんですね。イエス様が光であった、これも同じだと思います。最初は小さな小さな光だったけれども、そこで、その光を、人々を愛する、大切にする、という生き方をすることによって、その光がだんだんだん大きくなって、この、2000年かけて、イエス様の、幼子の小さな光が世界中を照らすようになった。私の、その友達も、ひとつの小さなイルミネーションを作ることによって、がそれ何年か後に、人々を楽しませる大きなイルミネーションになっていくわけですね。この、イエス様が小さな光として生まれて、光が世界中に広まっていった。そのことを私たちは心に刻みたいと思うんですね。まあ、新聞読めば、ニュースを見れば、非常に暗いニュースもいっぱいあると思います。しかし、ここに皆さん、千人くらい集まっておられると思いますが、みなさんひとりひとりが小さな灯をともすならば、いったいどれくらいきれいなあかりになるのか。ひとりひとりは小さな光でしかないでしょうが、これを皆さんが協力して照らしていくならば、いったいどれくらい大きな光となって、この世界を照らしていけるでしょうか。それを考えてみましょう。もちろん、闇も深いので、自分自身の中に、自分の家族の中に、自分の将来に光を見いだせない人もいるでしょうが、でも、小さな光から出発すればいいんですね、最初は。ごくごく小さな光を自分に灯す、自分の周りに灯していく、自分のこれからの生活に灯していくならば、その光は、10年後、20年後、30年後、いったい、どれくらい大きな光となって、この世界を照らすでしょうか。それを思い起こしてみましょう。2000年前のイエス様、馬小屋で生まれてですね、誰も、ほんとうに小さな光だって、誰も気にとめないものだった。それで2000年たって、こんなに世界中で、まあ、お祝いするようになったわけですよ。皆さんのひとりひとりの小さな努力、小さな愛の行為、自分自身が困難に負けないで乗り越えていこうとする、前に向かって歩んで行こうとする、そういう小さなひとつひとつの光をどれだけ大事にできるか、自分の人生で。友達とのかかわりで。家族との中で。勉強で。クラブ活動で。小さなひとつひとつの灯を大事にしていくならば、どんなに最初は小さくても、どれぐらい大きなものになっていくでしょうか。まあ、その、イエス様の姿と、その、26歳で亡くなった教え子の青年ですけどね、この、光の大切さ、私たちが自分を賭けて努力することの大切さを、なにか今も語りかけてくれてるような気がして、クリスマスになって、その、イルミネーション見るたびに、僕は、励まされる。彼から。そのような生き方を、私たちひとりひとりが、まあ、できるように、このクリスマスにあたって、私たちがほんとうに小さな灯として、その灯を少しでも周りの人に照らしていけるような恵みを願って、このクリスマスのミサをささげたいと思います。

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