2009年5月1日 ヨハネ6章52-59節「命を養うもの」教員の黙想会、鎌倉

6:52 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。
6:53 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
6:57 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
6:58 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
6:59 これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。

今日の朗読箇所はヨハネ福音書の6章に当たりますが、イエス様を食べるかどうかという話が延々とされています。実際のところはミサの後半でなされる聖体拝領、イエス様の御体と御血をいただくですね、そのことを語っているんだろうというふうに思われます。それ以外に私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠のいのちを得る、と書いてあるわけですが、肉を食べて血を飲むということは、ちょっと、なんというかグロテスクなイメージがありますが、実際のところ私たちは、神様の命ですね、本当の意味でそれをいただかなければ私たちの本当の命が生きてこないと思います。

昔…、吉田元首相ですね、吉田茂が首相だった時に、年とっても元気だったんで、記者の人から年を取ってもお元気そうですねと言われたら、吉田茂が「私は毎日人を喰ってるんで元気なんだ」と言ったという…彼が人を喰う、もちらん、ジョークでしょうが、実際のところ、私たちは、自然的な自分のいのちというところを考えただけでも、他のいのちを食べなければ生きられないということを…、それは実際、当たり前のことですが、それを認めなければならないというふうに、まずは思うんですね。日曜日の夜の番組で…個人的にはあまり好きじゃないんですけど、というのは、動物が動物を食べたりするシーンがよく出てきて、いつも残酷で、嫌になることがよくあるんですが、実際のところ、動物だけでなくて、私たちは他のいのちを食べて生きている、ということはもう、厳然たる事実なんです。植物であろうが動物であろうが、他の命を食べてるというか、犠牲にして食べてるわけですよね。命あるものしか、命が養えない。例えば、机とか、椅子とか、死んだものを…ま、、食べられないですけど、食べたとしても私たちの命にはならない。私たちの自然的命を保たせてるのは、実際は他の動物か植物の生きた命を、いわば奪い取って食べて私たちの命を保っている。私たちがこうやって生きてるということは、どれだけ多くの植物と動物の犠牲の上に私たちの命が成り立っているか、そのことを考えるだけで心の中に一種のなんともいえない思いが…。そのように創られてる、ということですよね。私たちの命そのものが。他の命の犠牲の上で成り立っている。ライオンが食べてるだけじゃなくて、私たちも実際食べてるわけですから、他の動物の命をですね。それで私たちの命がなりたっている。だとしたら、私たちはまず、他の命に対して感謝する以外に実際はないわけです。勝手に奪い取って食べてる、何の了承もなく実際は食べてるわけです。他の動物に対して感謝する気持ちがなければ、やはり私たちの命というもののなりたちというですかね、もったいない、とかね、命の成り立ちそのものから考えたらね、やはり傲慢になることはできないのだろうと思われますが、今日の福音書はそれだけじゃなしにですね、神様の命を私たちはいただかなければほんとのところ生きることはできない。他の被造物の命だけじゃなしに、神様の命ですら、私たちはいただかなければ、私の命そのものを、ほんとの意味で生き生きとさせることはできない。それぐらい、他のものに与えられて私たちは存在しているものだということです。これを私たちの心に、本当の意味で刻みたいと思います。

結局自分の力で命を保たせることはまったく不可能。神様と、他の、周りのものから命をいただくことによって私の命はある。神の命をいただいているという、その現実から出発する時に、自分の命をどのように生きていこうとするか、そういう問いというか、発想が生まれてくるのであるのではないかと思います。皆さん方が、教育ということにかかわっておられる、命を育てるという大切な使命だと思われますが、命ということが、いったいなにによって養われているのか。神の命によってこそ、私たちが養われていて、その命を生きていく時に、本当の命、というかですね、命をいただいているという事実から、私たちの命は成り立っている。この、大きな現実というか、ありかた、そこから、私たちが本当の意味で命を、自分の命もそうだし、周りの命も大切にしていける、そのような生き方ができるように、深めていけるようにしたいと思います。

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