テキスト版 マタイ福音書22章34-40節「愛すること」

マタイ22章34-40節「愛すること」
hanafusafukuin

マタイ福音書22章34-40節「愛すること」2009年8月21日 シスターの黙想会 静岡にて

34:ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
35:そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
36:「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
37:イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
38:これが最も重要な第一の掟である。
39:第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
40:律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

今日の福音書ではファリサイ派の人々、あるいは律法学者がイエスを試そうとして尋ねるわけです。どの掟が一番重要か。
それに対してイエス様は、神である主を愛すること、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、」神を愛すること、そして、隣人を自分のように愛すること。この、愛するということ、これが最も根源的な掟であるということをおっしゃいます。
実際、私たちクリスチャンにとっても、全く同じ、やはり私たちの生き方は、どれだけ愛に基づいているか。神様を愛するということと、人を愛するということ。この二つの愛に私たちの生活がどれほど根付いているか、それだけが一番重要だと言ったらその通りだと思います。当然修道会の中には、あるいは教会の中には規則や掟があります。もちろんそれらを守ることも大事なことです。でも、それ以上に根本的なのは、やはりかみを愛することと、人を愛すること、愛に生きているということに尽きると思います。

宮崎駿のアニメの映画はどれも面白くて色々説教ネタにすることが多いのですが、『ハウルの動く城』という、数年前の映画、原作はおそらく欧米の物語だと思うのですが、ソフィという女性が魔法使いによって呪いがかけられてしまって、17、8歳くらいの少女だったのですが90歳くらいのヨボヨボのお婆さんになってしまう、そして、ハウルという魔法使いとともに色々な冒険を繰り広げて…何人か登場人物がいるのですが、結局みんないろんな形で呪いがかかっているのです。そして、一番最後の最後で、カカシだったり、色々な、最終的にはみんなの呪いが解けるというお話なのですが、不思議なのは主人公のソフィ、彼女だけ呪いが解けるシーンが出てこないのです。でも、彼女も最終的に呪いは解けているわけなのですが、こうすれば呪いが解ける、そういうことでソフィの呪いが解けるというわけではないのです。

物語の全体の中で彼女の呪いは少しずつ解けているのです。
それはどういうことかというと、ハウルというちょっと変わった魔法使いを、結局、彼を愛する、そして彼と協力して、自分の全てを捧げていく中で、彼女は最終的に呪いが解かれるのです。

だいたいお伽話で出てくる魔法使いの呪いというのは、ほとんどが実際上は、私たちが子供の時に負った傷とかとらわれとかを象徴している場合が多いと思われますが、90歳くらいのお婆さんが、だんだん若くなっていくのですね。
なぜ彼女が若くなっていくのか。それはたった一言、愛を生きているから、です。いつも、必死で愛を生きている。それによって彼女は呪いが解けて若返るという、そういうストーリーです。

愛を生きていくことがどれほど大事なことか、どれほど力強いものであるか。

結局他の人は色々な形で呪いが解かれるわけですが、彼女は人を愛することだけによって、呪いが解かれていく。呪いが解かれることと、若返っていくこと、命の蘇りということが語られているわけです。非常に印象的なお話です。

愛するということ、私たちが本当に神と人とを愛するならばとらわれからの解放があるし、若くなる、というか、結局、愛というものは永遠なるものとつながっているからだと思います。

年齢というものが超えられていく。歳をとるということが逆さ周りに彼女の身に起こっていることに愛の神秘が現れているように思います。
愛するということの中には、必ず永遠につながっていくものがある。その永遠なるものが私たちの自然的な命も超えるし、私たちの様々なとらわれも超えていく、この愛の神秘の力強さが、この映画の隠しテーマみなのではないかと私は思います。

私たちは黙想が進んでいけばいくほど、イエスの愛がどれほどのものかということを感じるわけですし、その、愛の極致はどこにあるかというと、イエスの復活です。そこに愛の一番尊い姿が現れる。

まさしくイエスの復活というものが、私たちの罪の縛りを取るということと、永遠の命につながる真の命の姿を私たちに示しています。そこに神の愛、全ての愛の本当の姿が現れているという気がします。

私たちも、日々の生活の中で、様々な形で制限されている、あるいは、なんらかの呪い?か何か、小さなものが色々あるかもしれませんが、本当に愛を貫いていく時に、それらのものが超えられていくということに、ソフィだけではなく、イエス様の生き方、そしてイエス様の復活に与っている人の生き方に、愛の本当の力を感じて、そこから新たなものによみがえっていたり、永遠の若さを生きていくような者に召されていくように思います。

私たちが、このイエス様の「愛しなさい」という単純ではっきりしている、根源的で唯一の掟、本当に愛を生きることによって日々の生活を生き生きと充実したものとして、神とともに、人々とともに歩めるよう願いたいと思います。

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