マタイ16章21-28節「コミットメントーイエスに従うということーファチマのCLC世界総会で感じたこと」2008年8月31日 CLCの集まり 鎌倉

16:21 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
16:22 すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」
16:23 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
16:24 それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
16:25 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
16:27 人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。
16:28 はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」

今日の福音書はマタイの16章で、「ペトロの信仰告白」に続くところになっています。ペトロがイエスに対して「あなたは生ける神の子、メシアです」というふうに言った後で、イエスがペトロに対して、あなたはペトロだと、わたしの教会を岩の上に建てるというふうに言って、ペトロに重大なる使命を与える、ということになったわけです。ま、ペトロの首位権とも呼ばれて、教会のリーダーに任命するというですね、そういう重大な箇所になるわけですが、そのあとに、なにか、続けてですね、自分がメシアであるということを言った後に、イエスはすぐに、エルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから、この、多くの苦しみを受けて殺され、3日目に復活することになってる、というふうにおっしゃいます。

メシアは、受難、ですね、エルサレムで十字架にかかって死んだり、復活する、ということを、まあ、自分のメシアとしての使命をペトロに打ち明けるわけですが、このときペトロはまだ、本当の意味で、イエスがメシアであるという意味をわかっていなかったので、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と。まあ、ペトロが考えていたメシアというのは、どちらかというと、イスラエルの国を独立に導くような、政治的な、経済的な独立、まあ、この世の王様であるような、そしてイスラエルが独立して、イエス様が王になった暁には、リーダーである自分は、右大臣か、左大臣か、国務長官くらいにはなれるんじゃないかと思ってたんじゃないかと思われますが、それに対して、全く違うイエスのそのメシアの姿、ということが示されて、そしてペトロの歩む道も、自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさいという非常に厳しい言葉が言われます。イエスに従っていくということは、まあ、非常に厳しい、という面がある、それをまた改めて思い起こしたいと思います。

CLCの世界総会が、ファチマで行われたということは、非常に不思議な気持ちがいまだにしているんですが、やはり、マリア様が、そしてイエス様が、わたしたちCLCに対して、やはり特別の使命というか役割をですね、期待しておられるような気がします。このファチマのマリア様の実際のメッセージは非常に厳しいものであって、この世界が、あまりに罪が多いので、この世界に大きな苦しみが来る。まあ、そのような預言を何個かしていて、そして人々にうったえているのは、世界を罪から、滅びから救うために、皆さんは、祈りと苦行をしなさい、と。安楽な生活ではなくて、特に罪人(つみびと)のために祈りを捧げて、そして自分自身の苦しみを神様に捧げなさい、ということをうったえてるわけですね。

それはCLCに対しても言われてることじゃないかという気が非常にします。実際のところ、中日に、その、聖体行列があって、晩の祈りをそこでしたんですが、その時に、私自身も自分をマリア様に捧げましたが、日本のCLCと、世界のCLCを全体的にマリア様に奉献した、というですかね、マリアのけがれなきみこころに奉献しました。そして、私たちのCLCが、マリア様とイエス様のみこころのままに、この世界に使ってくださるように、そのように、そこでお祈りを捧げたんですね。

ファチマのマリア様の預言を別に聞かなくても、世界を見れば、この世界がどれほど苦しんでいるかは明らかで、気候変動や、日本人の心の中も、自殺したり、あるいは、最近は、家族の者を殺すような殺人が多くなってきて、世界どこを見ても、国際紛争や民族紛争や、ですね、マリア様の預言を聞かなくてもそれは現実を見ればこの世界が、どれほど悪と苦しみに満ちているかは非常にはっきりとしていると思われますが、それをマリア様は非常に憂いておられる。当然、イエス様もそれに憂いておられる。私たちは、マリア様とイエス様、そしてこの世界の苦しんでる人々の呼びかけを聞いて、私たちはやはり応えていかなければならないとやはり思います。

どうやって応えていけばいいかといえば、僕は非常にはっきりと思いましたが、それは、私たちの生き方を通してだと思いますね。霊操を通して、コミュニティの分かち合いを通して、そして使徒的活動を通して、つまりCLCがいただいている宝を私たちが十分味わって、それを通して、この世界の人々に、苦しんでる人々に奉仕していく。それはもう、まちがいないという気がしました。だから、世界総会から帰ってきて思うことは、やはり、CLCのメンバーは、私たちの生き方に忠実になって生きていく、ということに尽きてるというですね、宝はもういっぱいあるので、その宝をどれだけ忠実に、どれだけ創造的に生き続けていくか、というですね、いうことじゃないかなと思います。そのためひとりひとり、イエスについて行きたい者は自分を捨て、自分の十字架を背負って、イエスに従いなさい、ということは、私たちひとりひとりに問われてることじゃないかなと思います。

今日のミサでは、何人かの方が、かかわりの約束と誓約をしますが、それは僕は…英語で言ったらコミットメント(commitment)っていうんですが…それは、まさしく、そのような呼びかけに応えていく生き方だと思いますね。その、(CLC総会の)最終文書ではっきりと、”commitment to the clc way of life”、何にコミットメントするかといえば、CLCの生き方にコミットしろ、と書いてある。もちろん、神様に、であるとか、コミュニティに対してであるとか、メンバーに対してとかありますが、私たちがコミットするのはCLCの生き方に対してコミットメントを表明する、CLCの生き方というのは、私たちの宝である、霊操を生きていく、コミュニティを生きていく、ミッションを生きていくという、その、CLCに与えられてる独自の生き方に私たちはコミットメントするという、その、ひとつのしるしとして、有期誓約があったり、かかわりの約束があったりして、永久誓約があるわけですよね。

ひとりひとり、もちろん、立場も違うし、立ってる場所も違うし、意識も違うでしょうが、はっきりしているのは、わたしたちひとりひとりがコミットメントしなければならない。CLCの生き方に、神様に。私たちの生き方を通してCLCの大事な生き方を、やはり改めて確認して、それを日々生きていくこと、それが僕は、マリア様とイエス様が、このCLCに望んでいることはまちがいない、というふうに、ファチマの聖所で思いました。

別に特別なことをしろというのではなくて、私たちに与えられているものをどれだけコミットして真剣に生きていけるか、それが世界の救いにつながっていくのではないかなと思います。今からかかわりの約束と有期誓約をしますが、皆ひとりひとり、なんらかの意味でのコミットメント、まあ、強いか、弱いか、迷っているか、人によってさまざまでしょうけれども、自分のできる範囲の中で、そのような生き方、そしてマリア様とイエス様が望んでいることを果たしていける、そういう恵みを願いたいと思います。

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