第6回 短い聖句を唱える祈り-3 イエスのみ名の祈り

3.イエスのみ名の祈り

そのような繰り返しの祈りは、特に東方教会(正教会)では、「イエスのみ名の祈り」(Jesus Prayer)として、伝統的な祈りのスタイルになっている。

ルカ福音書に2人の印象的な祈りをささげる人が出てくる。

一人は、目を上げようともせず、ただ「神さま、罪人のわたしを憐れんでください」(ルカ18,13)と唱えながら、真実の悔い改めの心を示した徴税人である。

もう一人は、エリコの近くをイエスが通っていくのを聞いて、ただひたすら「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」(ルカ18,38)と願い続けた盲人である。

この2人の祈りからイエスのみ名の祈りが生まれた。

それは、「主イエス・キリスト、生ける神の子、罪人の私を憐れんでください」という祈りをただひたすら繰り返す祈りである。日本語にすると少し長すぎて唱えにくいので、「主よ、憐れみたまえ」というより短いバージョンで唱えるように私は勧めている。

やり方はものすごく簡単だ。ただひたすらそれを唱えるだけでよい。何十回も、何百回も、何千回も、何万回も、何十万回も、何百万回も、何千万回も、ただひたすらこの祈りを唱え続けるのである。祈りの時間はもちろんだが、歩いているときも、電車に乗っているときも、ありとあらゆる機会にただ唱え続けるのである。

その古典的な実践例は、『無名の巡礼者』という手記になっているので、興味ある方は読んでみられるとよいだろう。体験談なので、非常に参考なる。

この祈りを唱え続けると、自然と神との交わりが深まり、霊的に進化していく。

人によって違うが、以下のようなプロセスを歩んでいく。

最初の頃は、その祈りを唱えると心が静まり、心が神に向かうようになる。

さらに唱え続けると、自分の過去の罪が思い出され、涙が流れるようになる。

さらに続けると、その罪を神さまが赦してくださっているのが実感され、過去の罪が洗い清められるようになる。

さらに続けると、浄化された霊魂にさらに強い神の愛が注がれるようになり、自分がどのような道を歩めばよいか、照らされるようになる。

さらに続けると、神の心と自分の心が自然に一致してくる・・・という風に霊的な道を着実に歩んでいくことができるのである。

これを読むと自分もしてみたいという望みが湧くかもしれないが、もちろんインスタントの道ではない。長い道程の中で、少しずつ与えられる恵みである。

参考図書:ローテル訳『無名の巡礼者-あるロシア人巡礼の手記』エンデルレ書店