【ミサ説教】ルカ福音書2章41-52節「家族ー神様から与えられた関係」
ルカ福音書2章41-52節「家族ー神様から与えられた関係」2024年12月29日聖家族のミサ六甲カトリック教会
今日の福音書朗読とお説教の聞きどころ
- 私たちの元々の故郷は神の国です
- 家族はこの地上で出会い、縁があった人同士とも言えるでしょう
- 家族のつながりよりも前に神の国の仲間としての繋がりが先にあるわけです
- 家族との関わりを、神様から与えられた関係として見直したいものです
「美しい星」についてはこちらを参照。https://gaga.ne.jp/hoshi/
福音朗読 ルカ福音書2章41-52節
〔イエスの〕両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。
「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
すると、イエスは言われた。
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。
母はこれらのことをすべて心に納めていた。
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
家族ー神様から与えられた関係
変わりゆく家族の姿と変わらないもの
今日は聖家族の祝日にあたっていて、やはり家族ということですよね。私達一人ひとり何らかの形で家族に所属しているあるいは所属していたと思いますが、やはり現在はバラバラの時代になってきてどんどん核家族がですね進んで以前のように一緒に住むことがどんどん少なくなってきたように思います。
それでもやはり家族が本当に必要なのは、やはりイエス様の誕生もそうですけども、やはり赤ちゃんが生まれて、育てることですよねやはり誕生とその養育というか、やっぱりそこはやっぱ家族が大事なのは確かでしょうし、もう一つは高齢になって介護が必要になってこなくなるまでですね。そこもやっぱり決定的家族の関わりがやっぱり大事で、みんなが元気なときはバラバラでもいいという感じがしますけれどもでもやはり人生の最初と最後は家族の関わりなしには、やはりそれを迎えられないという現実もこれもちょっと乗り越えられないことではあります。
その中で私達が家族の繋がりとか、いろいろなものは、社会の状況によって変わってくるでもやっぱり変わらないものもある。その中で私達が今も一人暮らしされてる方も多いと思いますがその中で私達はどのようにしていけばいいのかということですね。
家族は皆宇宙人ー映画「美しい星」
昔見た映画なんですけど、「美しい星」というですね、映画、日本の映画なんですが、あの三島由紀夫の小説の原作で、それをちょっと現代風に映画にしたお話で、どっちかというとちょっとコメディタッチの映画なんですが、4人家族なんですね。
お父さんとお母さんと息子と娘がいて、子供たちはもうなんていうか大学卒業した後で、社会人として2人とも働いてたと思うんですがその中でお父さんが急にですね、自分は火星人だ。宇宙人だって言い出して、実は地球人じゃないって。火星人だって言い出して、ちょっとかなり変な行動を取り出してですね、そのうちに息子が自分は水星人だと。自分は地球にいる水星人だと言い出して。それで今度は娘さんが自分は金星人だと言い出して、みんな宇宙人で集まってる家族になってお母さんだけが、自分は地球人だって。他がみんな宇宙人なっちゃったんですよね。話が進んでるんですけど、結局あの後半どうなるかといったら、結局地球人だったって言ったらお母さんが一番おかしかったっていう。いろいろとトラブルがあってですね、それで終わるかと思ったら結局最後の最後は、火星人だっていうお父さんがですね、火星に帰っていくって言って終わっちゃって、半分おとぎ話のような。もちろんね、急に自分の子供が宇宙人だって言い出したらちょっとびっくりではありますか。
一人ひとりは神の国の住人
でも結局私達は宇宙人か地球人かはともかく、でもやっぱり1人1人に個性があって、一人ひとりに自分のアイデンティティがある。自分の考えとか、自分の役割とか使命とかそういうものが重なり合って、一人ひとりが火星人だとか、水星人だとか、金星人だとか言ってるんですけど、でも結局私達家族は家族であるんでですけど、でももっと大事なものに自分の根っこを置かなきゃならないっていうですね。
イエス様の今日の話はもうまさしくそういうことですね。12歳で3日間失踪してたっていう。12歳ですよ。3日間失踪して、今だったら大問題で、もう警察や、下手したらテレビで報道されたり、少なくともSNSでもなんか拡散されて、みたいな感じになっちゃう大騒ぎですけど、でも、大騒ぎでも両親もものすごく慌てていても、イエス様全然気にしないで。お母さんに、「なぜこんなことをしてくれたんですか?」って言われても、でもイエス様はどこ吹く風で、「どうして私を探したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか?」と。イエス様は宇宙人というよりは、やっぱ神の子供ですよね。父の家が自分の本当の家で、自分は神の子供であるっていうところに自分の一番のアイデンティティがあるということをはっきりと。12歳だからね、これから大人になるところで、そのような自覚を最終的にはメシアの自覚をそこで持ったのかもしれないんですけども、私達一人ひとりも宇宙人かどうかともかく、私達一人ひとりもやっぱ神の子供ですよね。
神の子供、やっぱり本当の私達の故郷はやっぱり神の国天の国にあって、そこに私達の一番の基盤があるっていうことを、やはり思い起こしというか、そこに自分のアイデンティティを置いたらいいのではないかと思います。
家族は神様から与えられた関係
それがいろんな巡り合わせで、この人と結婚したい、この人との子供になったりとかですね。あるいは、この人と兄弟だったりとか、でもそれはそれも一つの神様からの与えられた関係として受け止めながら、私達は生きていくことができる。
あるときは一緒に暮らした人がバラバラになってでもやっぱり私達は神の子として一人ひとりがしっかりとしたアイデンティティを持って生きていくからこそ、家族の繋がりに振り回されたり、あるいは変に無視することもなく、必要なときに助け合うような中で、私達は歩んででいけるんじゃないかなというふうに思います。
家族が必要なのはもう先ほど言いましたけど、誰かが弱っ終わってるときなんですよね。みんなが元気だったら、もう現代社会は家族がいらないかもしれないけど、でも私達はやっぱり小さな子供とか、世話が必要な老人になったりだからこそ助けなきゃならないし。でも家族の絆も弱いですからやっぱり施設に入るとか、様々なですね、介護の人の手伝ってもらうとか、様々なことも今の社会ではあります。
私達が神の子供として、この家族の繋がり、限界もある家族の繋がりを大事にしながら、神に向かってですね、いけるようにさっきの「美しい星」のお父さんが最後火星に帰っちゃうんですけど、私達は火星に行かないですよね。私達は天国、神の国に戻っていくわけですから、それが本当の私達の家族の繋がりだと思います。そこに向かって私達が互いに助け合いながら歩んでいけるようにですね、恵みをお願いしたいと思います。
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