説教ライブ

【ミサ説教】ルカ福音書2章16-21節「神のみこころにかなう人に平和」

hanafusafukuin

ルカ福音書2章16-21節「神のみこころにかなう人に平和」2025年1月1日聖神の母聖マリア六甲カトリック教会

今日の福音書朗読とお説教の聞きどころ

  • 神のみこころにかなう生き方とは、どのような生き方でしょうか
  • 結局のところ、それは許しと和解でしょう
  • それは非常に難しいことで、イエス様を拝んだ羊飼いにとっても難しいことだったに違いありません
  • マリアさまの生き方に倣って、許しと和解の道を祈り求めましょう

みなさま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

福音書朗読 ルカ福音書2章16-21節

(そのとき、羊飼いたちは)急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
その光景を見て、(彼らは、)この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

神のみこころにかなう人に平和

今日は1月1日、神の母聖マリアの祝日であって、しかも世界平和を祈る日にもなっています。毎年お祈りしてるんですけど、だんだんと世界の平和がなくなりつつあるようなですね、一旦起きた戦争がなかなか終わらない。厳しい社会になりつつありますか。だからこそ私達は、平和を祈り、平和を実現していくように呼ばれているというふうに思います。

天には神に栄光、地にはみこころにかなう人に平和あれ

どのように私達が平和を築いていけばいいのか。それはですね、この羊飼いたちが幼子イエス様を訪問する前に、野原に行って、天使たちから示された。神様の賛美ですねグロリアの起こりになった。天には神に栄光、地にはみこころにかなう人に平和あれ。地に平和を築いていくには、神のみこころにかなうということですね。神のみこころに適う生き方をしている人たちの間にだけ平和が本当の平和が広がってくる。私達がどのように神のみ旨、神のみこころにかなった生き方をしていくのかということが、非常に大事なことじゃないかなと思います。ちょうど答唱詩編もですね、それに合わさっていて、神のみ旨を行うことは、私の心の喜びと先ほど答唱詩編で歌いましたけど、神のみ旨を行うことこそが私達の喜びであり、私達の平和であるということですね。

でも平和はなかなか難しいことではあります。なぜなら私達の生活の中には国と国との戦争もありますが、結局私達は人と人との間の諍いをですね、どう、神のみこころにかなって乗り越えていくのかというですね、大きな課題があるからです。

許しと和解は難しい

20年前大阪の釜ヶ崎に住んで働いていたときに、両隣、今でもそうなんすけど、両隣が元々労働者のための宿屋だったのが、途中から生活保護といったアパートのような形になって、そこにいたんで、隣に住んでるおじいさんというか、だんだん1人の人と、なんか仲良くなってですね、世間話をいつも道端でしていた人がいるんですが、ある時彼がですね、真っ赤な顔して、もう何か僕に怒ったように、親友、彼に友達がいるんですけど、その友達が自分のお金をみんな持ってですね、トンズラしたというか、自分の持ってる全財産を全部取ってですね、このその街から消えたって言って、もうとんでもないってことで、ものすごい怒ってたんですよね。それは小さな部屋で、結局盗もうと思ったら何でも盗めますから、それで全部取ってったっていうふうに、非常に怒ってたんですね。それも私も仕方がない、ちょっとね可哀想だと思っていましたが、でもそれから3週間か1ヶ月ぐらいしたからかな。ふと道端で彼を見たら全部お金を持ち逃げしたって言ってた友達とまた仲良く喋ってたんですよね。結局釜ヶ崎からどっか行ったって結局戻ってこざるを得なくて、それで結局彼と仲直りして彼も私の知ってるおじさんも彼を許してですね、和解したということなんですけど、いや、なかなか、教会の中ではよくイエス様は許しということをいいますけど実際非常に難しくて、ほとんど実践されてないものが許しだと思うんですけど、人を許すとか、和解するとかですね。でもそのおじさんが、深く気持ちの変化は聞いてないんですが、そのような心の変化というかですね。相手を許し受け入れる。それこそ神のみこころにかなうことだし、そういうことでしかやっぱり平和は訪れないと思いますね。

周りに対して親切にするだけじゃなしにこんがらがった人間関係の中でそれをどれだけ許すことができるのか。受け入れることができるのか、和解することができるのか。それこそ平和をつくる神み旨にかなう生き方ではないかなというふうに思います。

個人と個人でも難しいんですから、国と国との間でもですね、結局難しくなっちゃうわけですね。だから隣の韓国と日本にしても本当のところ仲良くやっているようで、やってないような。前の戦争の傷を未だに引きずってですね、燃えてるところがあるわけで、やはり平和というのは簡単に作れるものではないですけど、でも、私達が神のみこころにかなう生き方を求めながらですね、少しずつ気づいてあげなきゃならないもんでしょう。

羊飼いたちの試練

実際羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を見て、非常にですね、心が温かい温かくなって、平和な心に平和が広がったでしょうけど、でも羊飼いたちの話はそれで終わってないんですよね。また翌週になれば、その後すぐヘロデ王が来てベツレヘム周年周辺の2歳以下の男の子全部殺したんですよね。ここに集まった羊飼いたちの中で、多分2歳以下の子供を持っていた親もいたと思いますね。だから羊飼いたちにとっても、平和をつくるというのは、幼子イエス様を見たからそこから全てがうまくいったわけじゃなくてその後、大いなる試練にあって、ものすごく大きな深い傷と混乱の中に、このすぐ後に、もう直面せざるを得なかったわけですよね。彼らにとっても平和はそんなに遠いものではなかったと思います。彼らが本当に許せるように多分なったのは30年後でしょ。30年後イエス様がメシアとして現れたときに、やっとその糸口をつかむことができるようになったのではないかなと思いですね。それぐらい子供を亡くす親の痛みというのは、それほど簡単にですね、許すとか、和解するとかできるものではないってことは、まずは明らかだろうと。

まずはでも、そのようなチャレンジがこの羊飼いたちに与えられた。ただ、みこころにかなう人に平和っていうことは、羊飼いたちにこれから来る試練を乗り越えるためにこそ天使が語った言葉でしょうし、幼子イエス様に会えたのも大きな試練を越えていく。その準備として与えられた恵みじゃなかったかと思います。

マリア様に倣う

実際マリアさまは多いですよね。つまりこれらの出来事を全て心に納めて、思い巡らしていたと私達には人生の不条理や社会の混乱、でもすぐその答えを生み出すことができない人は多々あると思いますが、マリア様が心におさめて思い巡らしながら、神のみこころにかなうことは一体何なのか。平和の道にかなうことは何なのか、マリア様自身も祈りながら、悩みながら歩まれたと思います。

私達も平和をつくるということは特にこれからだんだん難しくなってくるだろうと思います。その中でこそ、その間にマリア様の態度にならいながら、そしてこの幼子のイエス様のこの姿をしっかり見つめながら、私達は少しでも平和を築いていけるように、少しでも自分の困難や人間関係の難しさを乗り越えていく力が与えられる、単に相手をやっつけるだけじゃなしに、許しと和解の道を求めながらですね、私達が少しでも平和を築いていくことができるように恵みを願いたいと思います。2025年も、それほど楽観的に思えないことの方がやっぱ多いですけど、でもその中でこそ私達が平和を築いていけるようにですね、ともに心を合わせて神のみ旨を求め、神のみ旨を果たしていけるように、共に祈りを捧げましょう。

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