ルカ福音書9章43b~45節「日々の殉教、そして恵み」
2008年9月27日 ルカ福音書9章43b~45節「日々の殉教、そして恵み」殉教者を想う黙想会、岡山
(その時)イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。
9:44 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」
9:45 弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。
今日の福音書はちょうどイエス様の、受難予告のところですね、イエス自身が人々の手に引き渡されようとしている、と。イエス自身が、十字架に向かって、受難に向かって歩んでいる、と話すわけですが、それを聞いた弟子たちはまず、言葉の意味がわからなかった。どういうものであるのかということが、まずわからなかった、ということと、もうひとつは怖くてたずねられなかった、というですね。だから私たちが、殉教というか、そういうことを考える時に、同じようなことがあると思います。
あるいは私たちの日々の生活の中の苦しみもそうですが、やはり、理解できない、なんで、このようなものがあるのか、あるいは場合によっては、心から湧いてくる、恐れや不安や、まあ、そういうものに私たちが振り回される、ということはよくあることだと思うんですね。実際弟子たちは、イエスが十字架にかかった時は、結局イエスと共に歩むことができず、まあ、逃げてしまったり、裏切ったり、いなんだり、ということになった。それはまあ、彼らの弱さや、まあ、理解できなかったこともそうだし、怖さや恐れや不安や、ま、そういうものに囚われていたからだろうと思います。だからこそ私たちは、この、殉教ということを見る時に、同じだと思いますね。なかなかわからない、ということと、そして、怖さや不安や、そういうものが先走って、結局はなにか、私たちと関係ない、というかですね、というふうに思ってしまうかもしれない。まあ、ある時に、その、いろんな殉教が、教会の中では言われてるわけですね、ひとつは実際の殉教ですね、それはまあ、赤い殉教とか、血の殉教とか言われるもので、実際命を文字通り捧げるということだし、修道生活のことを、白い十字架とかですね、なにかこう、日々自分を捨てるようなものだ、というように言うわけですが、修道生活が殉教かどうか、疑問点も大分ありますが、それに対してですね、ちょっとたしかかそうか、はっきり覚えてないんですが、シャンタル夫人という方がいるんですが、まあ、その人は結婚していて、多分後に修道会に入ってシスターになったか…なんとかシャンタル、ですかね、フランソワだか、フランシス、だったか。ちょっと…フランシスですかね。シャンタル、という方がいて、その人が書いたものを読んだときに書いてあったのですが、いろんな殉教がある、と、彼女が言うんですが、心の殉教がある、ということを言っていて、それが非常に自分の心に残っていて。つまり、それは、実際の身体から血を流すわけではないけど、私たちが生活上の様々な苦難や困難に与った時に、心が血を流すことがある。で、それは、肉体が血を流すのと、勝るとも劣らないような殉教であって、それは、しかも、他人にわからない。見えないものだし、でもそれは殉教として価値がある、というようなことを、彼女があるところに書いていたんですね。それは、その通りかもしれない。というより、なんというのですか、そういうものというのは結局、向こうからやって来るようなもので、生活上のなにか、ですね、あるいはそれがどういうものかわからないですけど、それに結局私たちがどれほど逃げないか、そしてそれを直視する、それを受け止めていく、そういうところに、殉教ということの、ひとつの大切なものがあるのかもしれない。で、それは、どういうものが試錬としてやってくるかは、まったくわからないわけです。他の人からはまったく見えないものを背負わざるを得ないかもしれない。でもその時にそれを結局どのように受け止めて、どのような態度でそれを生きていけるのか、というところに、なにかこう、なんて言うんですかね、違いというか、なにかが出てくるのかもしれない、という気がします。というのは、一人の主婦の方というか、おばさんの方が、私の黙想会に来られたことがあって、で、黙想会の後でお茶を飲んでいたんですよね。こういう黙想会じゃなくて、完全沈黙の黙想会で、その後でお茶を飲んでた時に、そのおばさんが自分の体験を何気なく話されたんですが、その、十年間難病の夫の介護をしていた、それで十年後に夫が亡くなって、亡くなって2、3年後のことだったか。とにかく、難病で、どんどん病気が悪くなっていく、だんだんひどくなっていくわけですよね。彼女が言っていたんですけど、最初の5年間は、地獄のような苦しみ、自分のやりたいことをすべてあきらめなくちゃならない。で、まあ、24時間夫のためにですね、その、いろんなことをしなくちゃならない。それがもう、辛くて辛くて、苦しくて。しかも、最初のうちはご主人とコミュニケーションとれたんだけど、難病のために、途中からしゃべれなくなって、コミュニケーションがとれない。絶望的な孤独の中で仕事を延々とやってたわけです。で、ちょうど5年、半分たった時に、彼女は御言葉に助けられた、御言葉に出会った。どんな御言葉かというと、「自分を捨てて自分の十字架を担いなさい」という有名な言葉ですね。その言葉に出会った。ある意味ではもう、逃げられないし、もう、5年も地獄の中にいたんで、それ以上変えられないわけですよね。で、5年たった時に彼女は、神様に対してですね、自分を捨てると決めて、自分のなにかこう、囚われとか、望みとか、いろいろあるわけですよね。それを全部捨てて、十字架を担う決心をして、神の前で、そう祈った、というんですね。で、祈ったその後でどうなったかというと、自分をまったく捨てるという決心をしたとたん、残りの5年間はどうなったかというと、神様の現存がものすごく感じられて、そして残りの5年間は、ものすごい神との近さ、ものすごい恵みの中で残りの5年間を過ごした、という話をされていて、ある意味で、難病なんでどんどん悪くなって、彼女の仕事は後の5年間のほうが大変なわけですが、自分を捨てる決意をして、実際捨てたとたん、神様の恵みに包まれてですね、おっしゃってましたが、5年たって亡くなったんで、彼女の生活も普通にもどったので、そのような神様の強い現存が無くなって普通にもどったのですが、自分の生涯で、あの5年間ほど神様が傍にいて、慰めを深く深く感じたことは、ほんとに特別な体験だったと言っておられたんですが、まあ、ごく普通の主婦の方のわけですが、殉教、そして殉教のお恵みというのはこういうものじゃないかと深く考えさせられましたね。だから私はその、なんて言うんですか、拷問に耐えたとか、いろいろ殉教者の話があるわけですが、すごい神の恵みの中だったんじゃないかと思いますね。そういう人間的な意味で耐えていこうと思ったら苦しみだけですが、自分を捨ててイエスに従う、捧げるという決意があったので、神様の助けというのが、ものすごいものがあったんだろうという想像が十分につくような気がしますね。だからそういうことも、殉教録の中にいっぱい出てるわけです。原主水、というですね、原主水のドラマは殉教者の中でも劇的ですが、まあ、徳川家康に仕えていたわけですね、戦後の没落の中で、徳川家康に仕えていたということは、完全な勝ち組なわけですよ。最後は将軍になるわけだから。で、走り衆という、一種の徳川家康の親衛隊の隊長だったんですね。だから、世間的には誰もがうらやむ出世、勝ち組のトップだったわけです、家康が最終的に。だから、その親衛隊長だったらエリート中のエリートだったわけですが、でも、結局彼は信仰を捨てないということで追われるわけですね。そこで、スキャンダルとか、まあ、いろいろあって、それがほんとのスキャンダルだったのか、今からはまったくわからないですが、最後は額に十字架の焼き印を押されて、指を全部切断、で、足の筋を切られて…自分で歩くこともできない。最終的には、浅草にあったハンセン氏病の患者の中に潜んで、そこでキリストをのべ伝えていたといわれている。江戸時代のトップのクラスと、最底辺の生活を経験したんですが、ただ、その、晩年のそのハンセン氏病の患者の中で、結局誰かの世話にならなければ生きていけないわけで、彼はしばしば、その、天上の喜びにひたっていた、という記録が出てくる。その中で彼は至福の喜びにあふれているように見えたことがよくあった、というんですが、神の特別な恵みの中にあったんだろうと思われますね。そして、家光の将軍就任の時にあった江戸の大殉教ですね、品川の札の辻で、50人の大殉教の中の一人だったわけですが、私たちも、別に、もちろん、その、なんか、英雄的なことをすることではないと思うんですが、やはり、私たち自分自身の中にある困難や苦しみ、大きいものか小さいものかわからないけれども、その中で私たちは信仰を証ししていく機会は与えられていると思いますね。その中で、苦しみもあるでしょうが、ほんとにイエスにすべてを捧げた時に、神様がくださる恵みというのはあの世だけではなくて、この世でもやはり私たちに与えられている。その、なんていうか、自分を捨てるというですね、決断も必要と思います。それに伴って神様がどれほどの恵みを与えてくださるかということも、私たちは心に刻まなければならないし、その恵みを私たちにいつでも神様は与えてくださる、と思われますね。ま、ひとりひとり、それがどのようなかたちで神様の恵みに与るのか、あるいは、本当の意味で証しする、というですね、殉教者のような生き方を信仰者として貫いていけるか、まあ、ひとりひとり違うし、恵みの道も、あゆみの道も違うでしょうが、やはりわたしたちに、今の私たちに対して痛烈に感じますが、殉教者たちが励ましてくださっている、私たちに期待してるってことは、まちがいなくひしひしと感じます。いろんなかたちで殉教者の、こういう黙想会をしたり、ミサをしたりする時にですね、オーバーに言ったら、もう、このあたりに来て…私たちを励ましているような気がしますね。見守り、励まし、共に歩んでくださっているような気がする。だからこそ、私たちは単に、なにか、福者になったとか、別にその、なんというか、お祭り騒ぎをするんじゃなくて、まさしく、その殉教者の心を、今の日々の生活の中で生きていく、それこそが本当の意味で殉教者をお祝いすることだと思うんですが、日々の生活の中で、私たちが、大きなことでなく小さなことの中で信仰を生きていく、本当の意味で証ししていける、まあ、そのような生き方ができるようにあらためてごミサで願いたいと思います。