テキスト版 ルカ1章39-56節「マリアの賛歌はいかにして実現されるか」
ルカ1章39-56節「マリアの賛歌はいかにして実現されるか」2013年8月15日聖母の被昇天のミサ 8日間の黙想会 鎌倉
1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
1:56 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
8月15日は聖母被昇天の祭日ですが、私たち日本人にとっては終戦記念日であり、カトリックでは8月6日の広島への原爆投下の日からの10日間、平和を祈る平和旬間の最終日ということで、戦争と平和のこと、そして、マリア様のお祝いと分けて考えることができない、そういうふうに思います。8月6日の原爆投下の日がご変容の日にあたることも、切り離すことができない、なにか、様々なことが、思い浮かぶ日です。
今日の福音は、マリアの賛歌、主をあがめて喜びたたえるという歌ですが、なんで、喜ぶかと言うと、
主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
という、神の国の実現をマリア様が喜んでおられる、ということなんです。
しかしながら、私たちの現実の社会はそういうことが実現されていないと認めなければならないと思います。
たまたま、この黙想会の直前まで、私はCLCという信徒の団体、イエズス会と関係が深いのですけれども、その世界総会で、レバノンに行っていたのですが、レバノン自体は今のところは安全ですが、隣はシリア。イスラエルやエジプトがあり、世界の紛争地域のなかにある国なので、戦争と平和ということを意識せざるを得ないところに行っていたのです。一番心が動かされたのは、シリアのCLCのメンバーが来てわかち合ってくれたことです。アレッポに住んでいるCLCのメンバーは全財産を失いました。混乱の中で、なにも考えられない。目の前の困難に対処するだけで精一杯で、なにも考えられない。今日一日をどう過ごすか、逃げるか逃げないか、とか…、今、100万人のシリアの人が、レバノンの難民キャンプにいるそうです。シリア人のイエズス会の神父さんと話す機会があったのですが、2,3年前にはこんなことが起こるとは夢にも思っていなかった、ということです。平和に暮らしていたのに、ある日突然、破壊が起こってめちゃめちゃになってしまった…未だに信じられないと。
驚いたのですが、ダマスコでは、JRSという、イエズス会の難民サービスという、世界中で活躍している組織が活動をしているのです。困っているのは一番貧しい人で、彼らに対してJRSが炊き出しのようなことをしているわけです。それに対してCLCのメンバーも協力しながら働いているという話を聞いて、やはり、この、マリア様の賛歌というのは、タダでは実現しない、私たちの協力なしには、今も昔も不可能であると。困難の中でこそ、やはり、我々は助け合って、神の国の実現のための小さな協力、それは祈りであったり、小さなことかもしれないけれども、だからこそ、強い感動を覚えました。
僕は、シリアの人と、福島や、震災でやられた人たちがだぶってきて…まさか、こんなこと、ということが突然起こってきて、その中に巻き込まれて、すべてがその混乱の中に投げ出されてしまう。
私たちは小さな存在ですが、その混乱の中でも私たちの選択がそれぞれあるわけで、そういう中でも少しでも平和を作ろうとする気持ちであったり、来る真でいる人を助けようとする、祈りをともなう実践を、どういう場所でも果たして行けるかどうか。そのような問いかけがあるような気がします。
私たちは、このマリア様の賛歌に心を合わせて、祈りと、行いと、なんらかのつながりを持ちながら、平和が実現して行くように、祈り、行動しなければならないのではないかと思います。
いつなにが起こるかわからない。その中でも神のみ旨を祈り求めながら、み旨にあわせた小さな選択を重ねて行く以外にない。シリアのCLCメンバーもそれぞれ、どうするのか、まだわからないのですが、大会の最終日のニュースでは、シリアにいたイエズス会員が誘拐されて行方不明になったということでした。
世界には、人々の苦しみがあきらかにある。しかし、私たちは、それに屈することなく、その中においても神の国を求めて、イエス様とマリア様と心を合わせて歩んで行くことができるようにしたいと思います。
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