ミッション2030と祈りを深めるセミナー ニューズレターNo.4
ミッション 2030 と 祈りを深めるセミナー
ニューズレター No.4 2017年9月30日発行 PDFファイルはこちらから>>
1.はじめに
5月から始まった「ミッション 2030 と祈りを深めるセミナー」も 4回目を迎えました。
第 1 回『ミッション 2030 の目指すもの』、第 2 回『神との生きた交わりを深めるために』第 3 回『家族と祈り-家族とのかかわりを見つめなおす-』をテーマに英 隆一朗神父に
セミナーを行っていただきました。
第 1 回セミナーでは「ミッション 2030」の目指すものと「ミッション 2030」をささえる
4 本の柱である 1)祈りを深める、2)福音を伝える、3)共同体を生きる、4)新しいきょう
どうについて詳しく解説していただきました。
第 2 回目「神との生きた交わりを深めるために」では、イエズス会司祭アッシェンブレナー
師の神の恵みを中心にした「意識の究明」について学びました。
第 3 回セミナーでは「家族」という身近なテーマのもと具体的に家族とのかかわりに焦点
をあて、ふりかえりをしました。このふりかえりをするために聖イグナチオの『霊操』43 番
「一般究明」を現代化し、1 日に 1 回 15 分くらいつぎの 5 つの順番で究明をする方法を学びました:1)心をととのえる(感謝)、2)光を求める、3)ふりかえり、4)神との対話、
5)願い(お願いします)
また 4 月から毎月祈りのカードを発行して、主日の共同祈願と朝・夕の祈りをわかちあっ
ています。これらの祈りのカードとニューズレターは教会のホームページと英神父のブロ
グ「福音お休み処」に掲載されています。ぜひ一度お立ち寄りください。
教会ホームページ:http://www.ignatius.gr.jp/mission2030/mission2030.html
福音お休み処:http://hanafusa-fukuin.com/
2.「平和とエコロジー」(英神父)
2-1:「ミッション 2030」って何のこと?
今日の祈りのテーマ「平和とエコロジー」に入る前にあらためて、「ミッション 2030」につ
いて説明をしたいと思います。なぜなら「ミッション 2030 って何ですか?」、「どんな活動
をするのですか?」などと質問をよく受けるからです。これらの疑問は「ミッション 2030」
が 4 月から始まったことを考えれば当然のことかもしれませんが。
7月の終わりに開かれた当教会の活動連絡会でも「ミッション 2030」について理解を深め
ていただくために、「ミッション 2030」が、基本的には、わたしたちの意識と信仰生活の刷
新であることを説明し、各グループの代表からこれまでの進捗状況を報告しました。
「ミッション 2030」は、新たにプロジェクトを立ち上げ、活動を増やしていくということ
が主な目的ではありません。これは 2030 年に向かってわたしたち一人ひとりがともに信仰
生活を歩んでいくための指針・方向性を目指すものです。一人の信徒として、また各活動グ
ループとして、わたしたちが意識を新たにし、このミッションを日々の信仰生活の中で、こ
れからいかに生かしていくかということです。
そのために今年から4年間にわたって、「祈りを深める」、「福音を伝える」、「共同体を生き
る」そして「新しいきょうどう」を各年間テーマとし取り上げています。わたしたち一人ひ
とりが毎年これらのテーマに沿って意識を新たにし、それぞれのテーマをいかに信仰生活
の中に生かしていくかの工夫をしていきます。
今年度の「祈りを深める」セミナーは、祈りのハウツーを学ぶことが目的ではなく、祈りを
通して生活全般をいろいろな角度やポイントから見直し、わたしたちの信仰生活を活性化
するヒントや糧を得ていくためのものです。
そのために毎月の祈りのカードがあります。例えば 8月のテーマは平和旬間にちなみ「平
和」を取り上げました。9月は自然環境を取り上げています。それは東方正教会(ギリシャ
正教)が自然環境を大切にする取り組みを発表し、教皇フランシスコは、環境に関する回勅
『ラウダート・シ』を出され、9月1日を、「被造物を大切にする世界祈願日」と決められ
たからです。まさにエキュメニカル(普遍的)な取り組みとなっています。
今回のセミナーで『ラウダート・シ』を取り上げることも考えましたが、これについてはす
でにイエズス会社会司牧センターが昨年のセミナーで取り上げていましたので、今回は角
度を変えて「マインドフルネス」についてお話します。このことばを最初に使われたのは仏
教徒のティク・ナット・ハン師です。彼の「ティエプ・ヒエン(インタービーイング)」14
章の戒律をもとに「平和とエコロジー」について小黙想を挟んで話を進めます。
2-2:ティク・ナット・ハン師
わたしにとって現代の仏教徒のなかで最も尊敬する人はティク・ナット・ハン師とダライ・
ラマ師のお二人です。今日はティク・ナット・ハン師の「マインドフルネス」を中心に「平
和とエコロジー」について話をしていきたいと思います。
ティク・ナット・ハン師は上座部仏教の人です(小乗仏教という呼び方は大乗仏教から見た
呼び方なので現在は上座部仏教と呼ばれている)。エンゲージド・ブディズム(Engaged
Buddhism)、社会とかかわる仏教あるいは行動する仏教を実践されています。ベトナムでは
ティエプ・ヒエン教団(英語ではインタービーイング教団)を創立されました。
彼はベトナム戦争のとき米国にわたり反戦と平和を説き、ベトナム政府から帰国を拒否され、
その後フランスに亡命。そこでリトリートハウス「プラムビレッジ」、カトリックでいう黙
想の家を始めました。
彼を有名にしたのは「マインドフルネス」ということばです。私の記憶では、このことばを
最初に使ったのは彼だったと思います。彼は「マインドフルネス」について米国のアップル
社で講演をしています。またマイクロソフト社、グーグル社など IT 企業ではスタッフの心
のストレス緩和と集中力アップのためにこれを研修に取り入れています。日本でも最近外
資系企業を中心に「マインドフルネス」の講座が社員研修に取り入れられています。
また 2015 年 NHK Eテレ「こころの時代<禅僧ティク・ナット・ハン>」というタイトルで
紹介され、今年の7月にも4回シリーズでアンコール放送がありました。また著作は多数邦訳が出版されています。
彼は現在フランスにある仏教共同体リトリートハウス「プラムビレッジ」(すももの村)で
宗派を問わず世界中から集まった人たちに「マインドフルネス」の実践を指導されていま
す。
2-3:マインドフルネス
ティク・ナット・ハン師はただ心のさとりを目的として求めていくのではなく、個人が心の
深みを極めつつ他者や社会とエンゲージ(かかわる)していくことにより平和が実現され
てくると説き、平和を生きていくことと自然環境を大切にしていくことは同じ道であると
いわれています。これはカトリックの自分の心とからだは神から与えられたものなので大
切にするという教えに通じています。
平和とエコロジーをつぎの4つの観点から見ていきたいと思います。
1)自分自身において:平和とエコ
ティク・ナット・ハン師はニューヨークや東京を訪問したときに、大勢の人がいるが
「歩いている人」はいないといわれました。みんな目的のところに向かって少しでもはや
く着こうとしており、イライラしているように見えるといわれました。人びとが怒りを
地面にたたきつけ、毎日地球を傷つけながら生きているようだといわれました。
そこには平和もエコロジーもない殺伐とした世界があるだけです。エコロジーの第一歩
は心を込めていましていることに集中することです。彼が、「ウォーキング・メディテ
ーション」を紹介したときに、わたしたちに「地球をいたわる平安な心で一歩一歩、歩ん
でいくこと」が大切だと強調されました。ちなみにこの「ウォーキング・メディテーショ
ン」はラビリンス・ウォークと同じ瞑想の方法です。
そして「いま、ここ」に心を集中することが大事だといわれました。この教えはイエズス
会の指導原理のひとつ「Age Quod Agis」(アジェ・クゥォド・アギス)、「いま自分がして
いることをすること」と同じ教えです。段取りや時間にとらわれ、イライラ、不安、怒り
などを心の中にため込まず、目の前にあることを一つひとつ集中して片付けていくこと
です。
これは前のセミナーで学んだ「究明」と同じ教えです。究明によって日々の出来事をふり
かえり、その奥にある神のみ旨に気づき、感謝することです。怒りはわたしたちが気づか
ずに心の中に入ってきます。たとえ怒りの種が小さくとも心の中に積み上がっていき苦
しみが増えてきます。それらを丁寧に取り払っていくことが大切です。
神との生き生きとした交わりが心の平安を創るものであり、わたしたち自身がどのよう
に生きるかで平安が生まれてきます。エコロジーも同じです。ティク・ナット・ハン師に
よると心の平安とは、わたしたちが何を見て、何を聴き、何をするか生活全般にすべて関
わってくることなのです。
ティク・ナット・ハン師の本はたくさん出版されていますが、世界に衝撃を与えたのは
『The Miracle of Mindfulness』です。世界のベストセラーといってもよいと思います。
残念なことに邦訳は『マインドフルの奇跡-今ここにほほえむ』という題で出版されまし
たが絶版になっています。
この本は、「マインドフルネスとは、自分を、他の生命を、地球環境を深く見通すこと。
ばらばらになった心を、たちまちのうちに呼び戻しふたたびまとめあげる奇跡です」と紹
介されています。
マインドフルネスは禅宗では「正念」にあたり、座禅によって正しく物事をみつめ、とら
えていくことです。禅宗には、座禅をしたときに足の痺れや眠気をとりはらうために座禅
と座禅の間に一定の場所を徒歩でゆっくり息を整えながら歩く経行(きんひん)という方
法があります。画期的であったのは、ティク・ナット・ハン師がこれを「ウォーキング・
メディテーション」に変えたことです。
またマインドフルネスは上石神井の「イエズス会無原罪聖母修道院・霊性センターせせら
ぎ」の柳田神父が指導しているキリスト教的ヴィパッサナーとも似ています。柳田神父は、
ホームページでヴィパッサナーをつぎのように説明しています:
「ヴィパッサナー」とは「はっきり見る」、「あるがままに洞察する」ということを意味するパーリ語で「気づきの瞑想」とも言われています。具体的には一日少なくとも5時間(1 回 45分〜1 時間×5回)の静座(椅子でもよい)をしたり、歩行しながら呼吸の観察や体の感覚の観察をすることによって、そこで生じている様々な感覚を「心地よい」「心地よくない」などの快・不快の心の反応を脇に置いて、あるがままに受けとめてゆくという瞑想法です。これ
が深まってゆくと、心の中に生じてくる怒りや決めつけ、不安や恐れなどの否定的感情や
考えに素早く気づき、価値判断を入れずにあるがままに自己観察することをとおして自分
を解放してゆくことができるようになります。
2)まわりの人と:平和とエコ
ティク・ナット・ハン師は、わたしたちは「Interbeing」、つまり「相互共存」的な存在
でお互いにつながっているといわれています。仏教用語の「縁」や日本語の「交わり」に
近い語感です。
彼は、「インタービーイング」を一枚の紙を例にとって説明します。紙はいろいろなもの
が結び合わされたもの。紙の原料となった森の木、木を育てた土や太陽、雨そして雨を
降らせた雲、木材から紙を生産した人びと、流通に携わった人びと、そして紙を使うわた
したち。このように一枚の紙の中にかかわりがあることを説きます。
一人ひとりの心の平安がお互いにつながっていくことによって、憎しみの連鎖がなくな
り平和が生まれてくるのだと思います。つながりはおそらく個人の独立を第一に考える
西洋よりも東洋的な感性のように思われます。
ただ残念なのは、つながりの感性も現代人のわたしたちには希薄になっているのではな
いかと危惧しています。以前日本の子どもたちに水の大切さをテーマに水について絵を
描いてもらう企画がありました。ほぼ全員の子供たちが水道の蛇口から流れ出る水の絵
を描いたそうです。もっと外に向かってオープンなダイナッミクな目と心で自分のまわ
りのつながりを見ていく必要があるのではないでしょうか。
「汝と我・対話」で有名なユダヤ人の哲学者マルティン・ブーバー(1878-1933)は、わ
たしたちにとって大切なのは「われ、なんじの対話とつながり」といっています。「われ
とそれ」だけの関係では十分でなく、一人ひとりを人格のあるものとして受け入れること
が肝心であると述べています。
人を道具として見なさず、またものを単なる道具あつかいにせず大切にしていく心がエ
コロジーにつながってくるものだと思います。使い捨ての文化の中では難しいと思いま
すが、わたしたちにはものを大事にする文化があり、職人の世界では道具にたましいが宿
るといった心があります。これをアニミズムとしてとらえずに道具とのつながりを大切
にしていくことによってエコロジカルなマインドを育てていくことができると思います。
先日も若者と話をする機会があったのですが、つながりが大切といってもつながりを拒
否する人や難しい人、変わった人が実際にはいてなかなか付き合い難いという意見を聞
きました。そういう状況の中で、いかに難しい人とかかわるかは大きな課題ですね。
そのような場合、ティク・ナット・ハン師は「レタス」のことを考えて見たらよいいわれ
ます。レタスの栽培がうまくいかなかった場合、だれもレタスに向かって「バカヤロー」
とはいわないでしょう。肥料が足りなかったのか、水不足だったのだろうか、日当たりは
どうだったのだろうかなどとレタスについて考えるのではないでしょうかと説かれまし
た。難しい人をうまく育たなかったレタスだと考えてみたらよいというのです。
キリスト教が難しいのは、はじめから「敵を愛しなさい」というからだとティク・ナット・
ハン師はいいます。愛から入るのではなく、彼は、まず相手を理解することから始め、少
しずつ理解をしていくことだといいます。少し理解できれば少し受け入れることができ
るようになり、そうすれば少しずつ愛することができるようになるといわれます。この理
解、受け入れ、愛するというプロセスは仏教的センスのアプローチだと思います。一歩一
歩考え進んでいくことです。
おりあいのつきにくい人はどの世界でもいるのではないでしょうか。どんな学校、職場で
もまた修道院でもつながりにくい人のいる割合は同じだと思います。このような人たち
のために祈りながら平和を築く工夫をしていくことが大切です。わたしたちがまわりと
どれほどつながりを築いているか、まわりのものを大切にしているかが平和とエコロジ
ーの基盤となります。
3)共同体(教会)として:平和とエコ
共同体にはさまざまなかたちがあります。カトリックの修道生活において、平和やつな
がりの基本はともに祈り、ともに食事をすることだと思います。わたしが修道院で教えら
れたことは、どんなに仕事で激論を交わしたとしても、必ず食事はともにするということ
でした。
現代は個室、スマホやネットの世界です。その結果わたしたちは孤立の世界にいて、
他者との交わりや家族との交わりが希薄になってきています。この交わりをどのように
とりもどすかが大きな課題となっています。孤立は平和ではありません。
エコロジーのことでいえば一人でできないこともグループでできることはたくさんある
と思います。修道院にいたときにエコ意識の高い神父さんがいて、生ゴミに EM 菌を入れ
畑に埋めると作物のできがたいへんよくなったことを覚えています。雨水をタンクにた
め利用した経験もあります。
家族でも工夫しだいでエコに貢献できると思います。こういう工夫は女子力のほうが強
いのではないかと思います。この教会でも平和とエコを実践するチームを作って実験的
になにができるか工夫してみたいという気もあります。みんなで知恵を絞って考えると
いいアイディアがでてくる可能性もあると思います。
4)社会(国家)として:平和とエコ
平和とエコロジーについてこのレベルまで考えていく必要があると思います。人を排除
しない、差別しないということはわたしたちが心がけていかなければならないことだと
思います。
にもかかわらず、最も衝撃的だったのは、昨年津久井町の障害者施設やまゆり園で起きた
戦後最大の殺人事件です。この事件以来、障害者の人たちからまったく平和がなくなりま
した。実際に駅のホームを歩いていて危険を感じたという事例がたくさん報道されたり
しています。わたしたちは弱いもの、異質なものを受け入れる心をもたなければなりませ
ん。それがなければ平和は成り立たないと思います。
大きくいえば、日本政府がおかしなことをやっている場合には声をあげていかなければ
ならないと思います。また企業に対する投資をおこなう場合でも非倫理的な企業、例えば
兵器産業へは投資をしないというようなことを心がけていくことを実際に考えて行かな
ければならないと思います。
2-4:ティク・ナット・ハン「ティエプ・ヒエン(インタービーイング)」の 14 章
この 14 章はティク・ナット・ハン師が仏教のたくさんある教えのなかから自分自身と教団
のために分かりやすく普通のことばでまとめた心がけ、信条といってもよいものです。「テ
ィエプ」は漢字では「接」、かかわりをもつという意味で、「ヒエン」は「現」、現在に生き
るという意味です。英語では同じ意味のことばがなかったので内容が一番近い「Interbeing」
インタービーイングを使っています。(参考文献:『微笑みを生きる』ティク・ナット・ハン
著、春秋社)
1)いかなる教義、理論、イデオロギーに対しても盲信的心酔を避け、また束縛されない。
いかなる思想も手段であって、絶対的真理ではない。
➢ カトリック的にいえば、私の解釈では絶対真理は神であり、この世のものはここにあ
るように相対的なものという考え。神だけが絶対でありこの世にあるものを絶対化
すれば偶像崇拝となる。
2)現在の知識が絶対不偏の真実だと考えない。狭量を避け、現在のものの見方に縛られな
い。こころを開いて他人の考えを受け入れるために、無執着を学び修する。真実は概念
化された知識の中ではなく、生活の中に見だされる。つねに自己および世界の現実を生
活をとおして観察し学ぶ。
➢ 何が真実かということです。例えば、アリストテレスやトマス・アキナスの時代では
奴隷制度はあたりまえのこととして考えられていた。ある部分的時間を切り取って
それが絶対的真実というのは間違い。頭の中で作りあげるのではなく、自分の生活の
中で何ごとにもとらわれず真実を極めること。例えば毎日の究明などを通して。
3)権威、恐喝、金銭、宣伝、教育などいかなる手段を用いても、自己の考えを他人に(子
どもを含めて)強要しない。ただし、他人の盲信、狭量をいさめるときには、まごころ
を尽くして対話する。
➢ ついつい自分が正しいと思うことを他人に押しつけようとすること。相手には自由
があることを忘れてはいけない。若い人にはとくに難しいと思う。人間は案外と偏狭
なところがある。しかしここにあるようにどんなときでもまごころを尽くして対話
するよう努力していくことが大切。
4)この世の悲惨に直面するのを拒んだり、そこから目をそらしたりしない。この世界に現
存する苦しみに深く気づき、苦しむ人とともにあるために、面接、訪問、映像や録音な
どのあらゆる手段を駆使して、苦しみを分かち合う努力をする。このような手段によっ
て、世界の苦しみの現実に自他ともに目ざめる。
➢ 内省をしていくとややもすれば自分の世界、枠の中に閉じこもりがちになる。そうで
はなく、「ミッション 2030」にもあるように、意識を外にむけ社会の苦しみに心を開
いていくことが大切。
5)何百万の人が飢えているのに、私的な富を蓄積しない。名誉、利潤、富、肉体的快楽を
人生の目的にしない。簡素な暮らしをし、時間、労力、物資を助けが必要とする人びと
と分かち合う。
➢ エコロジーな生活。わたしたちはインタービーイング、つまりお互いにつながってい
る。カトリック初代教父のひとりも同じような発言をしている。「自分だけが富を蓄
積している人は貧しい人びとから奪っている」と。分かち合いの大切さを説いている。
6)怒りや憎しみをいだきつづけない。怒りや憎しみの種が意識の深層に根づく前にきづい
てすばやく変容させる。怒りや憎しみに気づいたら、すぐに呼吸に戻り、自分の怒りや
憎しみの性質や、それを引き起こした人の心境を見きわめ、理解しようと努める。
➢ 意識の究明をおこなうときと同じように、怒り、否定的なものをよきものに変えてい
くように心がけていくこと。どの本か忘れましたがティク・ナット・ハン師は大勢の
同胞がボートでベトナムから逃げようとしたときにタイの海賊に襲われ、同胞がレ
イプされ、財産を奪われ、殺戮された話を聞き、心のそこから怒りが海賊に対して湧
き上がってきたそうです。この怒りと対峙するために、彼は必死でウォーキング・メ
ディテーションを行い、ようやく怒りを解かしたそうです。彼は死んだ同胞も、海賊
も自分自身の分身、つまりインタービーイングであることを深くさとりようやく怒
りから解放されたそうです。平和を築いていくには怒りや憎しみに真正面から向か
い合っていくことが大切。わたしたちはいろいろな傷や恨みなどが過去にあったと
しても、神を想い、いやすことやゆるすことを、たとえ小さくてもできるようしてい
くように心がけていくことが肝心。
7)散漫になったり周囲に流されて自分を見失わない。気づきの呼吸を行い、今、ここに戻
る。自己の内外の不思議、生気を蘇らせてくれるもの、いやしの力に触れる。こころに
喜びと平和と理解の種を播いて、意識の深層の変容作用を容易ならしめる。
➢ カトリック的にいうとこれは祈りの大切さにあたる。マインドフルネスの部屋、黙想
できる部屋や場所を定め、決まった時間に祈りや究明をすることが大切。安息日は神
にもどる日。
8)不和を生じて共同体の分裂を引き起こす言葉を慎む。どんな小さないさかいや対立も調
停解決する努力を惜しまない。
➢ ほんとうにこのとおり。何を語るかということは大事。人に喜びを運ぶことばを語る
こと。
9)個人的利益や自己顕示欲のために真実でない発言をすることを慎む。分裂や憎悪を引き
起こす言葉を使わない。不確かなニュースを広めたり、確信のもてない事柄を非難、批
判しない。つねに建設的に語る。自分の身の安全が脅かされても、不正には堂々と勇気
をもって立ち向かう。
➢ 米国大統領選挙以来よくいわれる Alternative Facts(オルタナ・ファクト)(真実に
対するもう一つの事実)など根拠のないことをネットで流したりすることには加担
しない。うわさにふりまわされないこと。建設的な発言や真摯な対話を実践するだけ
でも心の平安、心のエコに通じる。
10)宗教団体を個人的利益のために利用したり、政治集団に変えたりしない。しかし宗
教団体は抑圧や不正には断固として立ち向かい、党派間の抗争にかかわることなく、
状況の改善に努力する。
➢ ティク・ナット・ハン師の名を政治家が利用しようとすることがあるので、この戒め
がある。またいつの間に政党の宣伝にまきこまれることもある。しかし宗教家が政治
にまったくかかわらないといういうのは逃げであり現実的でない。抑圧やよくない
ことにはしっかり立ち向かうことが大事。教皇さまもそうである。
11)人間や自然に害をもたらす職業で生計を立てない。人の生存権を脅かす会社組織に投
資しない。慈愛を理想とする社会の実現を可能にする職業を選ぶ。
➢ 平和のエコ。社会の中で生きていくときにはいろいろな困難があるがこれは基本的
なこと。自然環境を壊さないこと。
12)自ら殺さず、また人に殺させない。命を守り、戦争をさけるための可能な手段はすべて
試みる。
➢ 十戒にもある教え。命を守る大切さ。ティク・ナット・ハン師は湾岸戦争のとき、両
方の指導者に平和を訴える手紙を書いている。バチカン外交もそうであり、このとき
ヨハネ・パウロ 2 世も平和の手紙をだしている。立場によってできることが違うか
もしれないが、できることを誠実に実践することが大事。
13)他人のものをいっさい所有しない。他人の所有物を尊重するが、人が他者を苦しめた
り、他の生き物を犠牲にして財を築かないように助言をする。
➢ 十戒の「盗むなかれ」を深く読み解くと自然環境を傷つけることは自然から盗みをお
こなっていることと同じになる。なぜならわたしたちは自然とのつながりの中で生
きているから。
14)自分の体を苦しめないで大切に扱う。自分の体をたんなる道具と見なさず、自らの生
命エネルギーの真理実現のために使う。愛と責任のない性愛を慎み、性交渉において
は、それによって将来引き起こされるかもしれない苦しみに気づき自覚する。他人の
幸福を守るために、他人の権利や約束を尊重する。この世に新しい生命を送り出す責
任を十分に認識し、その子らの住む世界の現実を瞑想する。
➢ 欲望だけを満たすことは自分だけでなく他者も苦しめることになる。ここのことば
が自分にとってどうなのか、自分のいる共同体でどうなのか。またイグナチオ教会で
はどうなのか考えてみる。
2-5:さいごのふりかえり・いまの自分にとって
いまの自分にとって上記のティエプ・ヒエン 14 章の中で何が一番心に響いたかふりかえっ
てみましょう。きっと一人ひとり違うと思います。先日若い人たちに同じ質問をしたとこ
ろ項番の 3,4,5,6,7 が挙がりました。
いまは北朝鮮と米国の間で緊張がかってないほど高まり平和を祈る気持ちが大きくなって
います。少し前だと 2013 年の中国と日本の緊張が尖閣諸島を巡って高まったときでした。
自然といえば、夏に九州北部豪雨被害があり、フロリダのハリケーン被害など自然災害が
ほぼ毎年繰り返されています。世界の自然環境のバランスは確かに壊れているといっても
よいと思います。
エコロジーについてわたしたちに何ができるかを考えていくときには、自分のまわりから
小さなことでも工夫して変えていくことを意識していくことが大切です。
わたしたちは一人ひとりインタービーイングな関係にあります。したがって自分が変われ
ば人も変わっていきます。一人ひとりが平和な心をもち自然を大切にし、そのための祈りと
行動を起こしていく心がけが大切です。
今回は教皇フランシスコの環境に関する回勅「ラウダート・シ」をとりあげませんでしたが、
この回勅はカトリックの自然環境、わたしたちの住む家、地球についての考えを集大成した
ものです。ぜひみなさんも機会を作り学んでください。
3.次回セミナー:
10 月 8 日(日)午後 4 時から 5 時半までヨセフホールで行われます。テーマは「わたした
ちの活動と働き」についてです。
文責:英神父とミッション 2030 促進チーム