ルカ福音書2章1-17節「イエス―平和の君」 生誕教会 ベツレヘム イスラエル聖地巡礼の旅
ルカ福音書2章1-17節「イエス―平和の君」2010年3月6日 生誕教会 ベツレヘム イスラエル聖地巡礼の旅
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
イエス様がここベツレヘムというところでお生まれになったということ、これは非常に意義深いことだと思います。
特に、実際ここ、ベツレヘムに来て、分離壁を越えて、このパレスチナ自治区、虐げられているパレスチナ人の地域である、ここでイエス様がでお生まれになった。僕はこれは、イエス様は貧しい人の側にいる最大の印じゃないかと思います。しかもこの教会が、2002年の混乱の時にパレスチナ人の230人ほどの人の命を守った場所である。イエスのみこころはそういうところに、現れているのは、間違いないと思います。
別に、ユダヤ人が悪い、パレスチナ人が悪い、ローマ人が悪いということではなく、当時はローマ帝国、あるいはヘロデ王の圧迫とかいろいろな中で、時代時代によって圧迫する人は違うし、戦っている人は違うかもしれないですけれども、でも、その場でイエス様がお生まれになって、そしてその場所が今でも記念されている。そこに、私たちに大事なメッセージがあるんじゃないかと思います。
この地に全く平和がない、はっきり言って、戦争状態だということです。パレスチナとイスラエルという国は。ドンパチドンパチは時々しかやらないですけど、実際は戦争状態が続いていて、和平は成り立っていないわけだから、その中で、イエス様がお生まれになった。そして、私たちにも語りかけてくださっているということです。
じゃあ、平和をもたらすものは何なのか、これは、イエス様なのです。
今の第一朗読なんですけど、イザヤの預言。イエス様の名前は何なのか。「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君と唱えられる」。「平和の君」だと言うんです。「そしてダビデの王座とその王国に権威はまし、平和は絶えることはない」ということを約束してくださっているわけです。ルカの福音書の方では、「地には平和、みこころにかなう人にあれ」。平和と言うものは、イエス様がもたらすものであって、そして、みこころにか叶う人に与えられる、というふうにイエスが約束してくださっている。
私たちも、そのイエス様の心に従って、やはり平和の道を少しでも、難しいことですけれども、歩まなければならないと思います。
ルカの福音書は、最初が皇帝アウグスツスから始まっていますが、アウグスツスといえば、ローマ帝国の側から見れば、非常に有名な名君と言われる人ですが、彼がつくったものは何かといえば、有名なパックスロマーナ、ローマの平和、彼によって平定されたわけです。それで、ローマの長い支配が続いていく。でも、アウグスツスがつくった平和は、軍事力によって植民地をさえ混んでいた平和です。軍事力によって押さえ込んだ植民地からの上がりをローマに持ってきて、軍事力と経済によって成り立っていた平和です。それは、私たちの普通の考え方でもあります。
政治家とか、リーダーの考えることは、軍事力とか、経済力で私たちに平和をもたらそうとするわけですが、でも、イエスのもたらす平和は全く違う。
貧しさの中から、羊飼いのような貧しい人からみこころに叶う生き方から平和が始まっていく。そのことを心に刻んで、イエス様の貧しさと謙遜、そしてそのことから出てくる平和をこのミサで願いたいと思います。
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