私はいのちのパンである

「私はいのちのパンである」(ヨハ6,48)
英隆一朗

「私はいのちのパンである」(ヨハ6,48)。パンは食べられるためにある。食べられて、何もなくなった時にその使命を全うする。パンであるイエスも同じ。食べられてこそ、意義がある。そのパンに養われているキリスト者も、人に食べられる存在でありたい。1日の終わりに何もなくなるような、そんな生き方ができるように。

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