【ミサ説教】マルコ福音書13章24-32節「愛は滅びの呪いを解く」
マルコ福音書13章24-32節「愛は滅びの呪いを解く」2024年11月17日年間第33主日ミサ六甲カトリック教会
今日の福音書朗読とお説教の聞きどころ
- 死や滅びは避けられないものです
- ですが、イエスの言葉、神の愛は滅びることはありません
- 「ハウルの動く城」のソフィーが愛によって呪いを解いたように
「ハウルの動く城は名作だよね
マルコ福音書13章24-32節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
24「それらの日には、このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
25星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
26そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
27そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
28「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
29それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
30はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
31天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
32「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
愛は滅びの呪いを解く
今日の福音書は11月も死者の月でこのこの世の世の終わりをですね、何か、何か滅びのようなことが語られている福音書ですね。
様々な苦難があるということを言っています。でも実際このような滅びや苦難があるからこそ、イエス様がその再臨される、ということですね。実際私達のこの世の中は、何か滅びとですね後、死と生がやはり入り混じってるというか、それは切り離せないものだということを思うことも多々あります。
生と死は表裏一体
今日は七五三で子供たちの成長は本当にあっという間で、ここに来てから3年目ですけど、赤ちゃんだった子がもうもうすっかり子供になって、子供の成長は本当に素晴らしい、早いなと思いますが、でもその分、大人は年取ってるわけだから、若い人の成長を喜ぶとともに、結局ね、年上の人は死が近づいてるっていうか。結局だから成長と衰えはどこまでいってもひっついてるんで、喜ばしいことの裏には、そうでもないことが、でも喜ばしくないことには喜ばしいことが逆に言えば、裏が繋がって引っ付いてるわけですよね。
私達はその両方を見なきゃならないことも確かなことだというふうに思います。イエス様がこうおっしゃるんですよね天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びないと。天地は滅びると書いてあるので、この辺の命あるものは、生まれて育って、年老いて死んでいく。実際は滅んでいくものでは実際あるわけですけれども、でも、滅びないものはイエスの言葉である、これだけは滅びないというですね、不思議な言い方をしています。
イエスの言葉は「神の愛」だから滅びない
私達クリスチャンは、単に滅んでいくものだけを求めるのではなくてですね、この滅んでいかないものを私達は見つけなきゃなならないでしょう。それが命の誕生であれ、人の死であれ成長であれ、老いであれ、その向こう側にあるっていうか、それを支えている、この変わらない、滅びないものに私達の生き方の基盤というか視点を置かなきゃならないだろうと思いますね。なんでイエスの言葉が滅びないのか。それは実際言葉の一言一句というよりは、やっぱなんて滅びないのか、それは神の言葉ですね。
神の言葉は、滅びないつまり神様神から出てくる愛っていうんすかね、神の愛が滅びないからこそ、イエス様の言葉が滅びない、つまり神様が永遠だからですね。神様から出てくる愛の心は、やはり私達を滅びじゃないところに私達を支えてるそこに私達の眼差しというか、気持を置くことが必要なことではないかなと思います。
呪いを解いたのは愛だった
ちょっと話が飛ぶようですが、ちょっと今日子供のミサとかもあるので、宮崎駿監督のハウルの動く城ってすごいアニメがあって、見た方も見てない方もおられると思います。ハウルっていう魔法使いの話なんですね。魔法使いがいる
世界のお話なんですが、ハウルという魔法使いと、主人公がソフィーっていうんですけど、この人が10代の女の子なんですが、魔法をかけられてしまってですね、なんと90歳になっちゃう。若さと老いの問題ってのは何か考えさせられますけど突然90歳ですよね。
10代の女の子が90のおばあちゃんになったところから話が進んでいくんですけど、登場人物がいろいろいて、そのハウルは動く城、館に住んでるんですよね。それが便利で、登録してるところにはすぐ行けるっていうか、例えばドラえもんのどこでもドア似てるんですけど、あの学校とかね、職場とか病院とか幼稚園とか通学せずにぱっとそこに行けるドアがあって非常に便利なんですよね。あれがあったら全然電車バスに乗らなくていいから。そういうものとか、いろいろあるんですが、でもそこでもちろん話がいろいろ進んでって、魔法を使うか使わないかとか、いろいろですね。そこに出てくるのが、その城を燃やしてる暖炉の火がですね、名前が
カルシファーですけど、それとかカカシとかいろいろ出てくる。いろんなものが出てくるんですが、結局最後の最後で、3人ぐらいから、ハウルとカルシファーとそのカカシとか、全員が実は魔法使いの呪いがかかってて、その呪いが重なってるんですけど、最後の最後でソフィーの活躍でみんなの呪いが解けちゃうんですよね。
みんな呪いとかかかっていたのが、最後の最後で解けてですね、そのソフィーも若くなっちゃった。最後に元の年齢に戻って、もちろんハッピーエンドのお話なんですが、でもその他の人々の呪いはソフィーが全部解くんですね。
ソフィーが頑張って、他の人の呪いを解くんですけど、ソフィーだけは誰からも何もされないのに、最後に呪いが自ら解けるんですよ。と、いうストーリーで見たことある人は思い出してもらうといいんですけど、何でソフィーの呪いが解けたのか。
あるいはソフィーが何で他の人の呪いを解いて、解くことができたのかってことなんですが、ちゃんと別にもちろん書いてないんですが、それはたった一つだけで、ソフィーがハウルのことを愛していたからなんですね。彼女は人の心だけで動くから、結局ソフィーの愛の心が他の人の呪いを解いただけじゃなしに、自分の呪いも自分で解いて、それで最後にハッピーエンドなんですね。
だからやっぱり愛の力は呪いを超えていく、つまり呪いから結局発生するのが滅びとか死とか。そういうものを全部乗り越えていくのは愛の心だってことなんですね。それはなかなかな、私達の単に人間的な愛ではなくて、神の愛に基づいて生きていますから、私達が本当に神の愛に基づいていくと、この滅びとか苦しみとか、困難を乗り越えていくことが、あるいはどんな滅びであってもそれを超えていく力と恵みが私達に与えられてるということですね。
誰もが背負っている呪いを超えて
実際、そういう話なんですけれどもね。僕は多くの人を見てて思うんですけど、ほとんどの人は呪いがかかっている。子供時代、特に7歳以下。何かトラウマとか傷とか、なんていうんですかね、もう覚えてないこともありますけど、大体その人の人生を一番左右してるのは7歳以下の経験ですよ、本当のところは。ほとんど覚えてない方が多いけれども、だから実際ね、ほとんどみんな僕は呪いがかかってると思います。
ちょっと言葉が強いけど、何らかの傷とかトラウマとか何かを背負って大体は生きてる。でも、私達はもちろんね7歳以下の子供にそういうものがなるべくないように親はやっぱり子供をどれだけ本当に愛するかっていうことが一番大事なことですし、例えば私達がその後困難や苦しみがあったとしても、神の愛をもってしか能力を得ることはできないんですよね。
自分の苦しみだったり人の苦しみ、呪いとか滅びとか、それは子供であったってその呪いは大体おじいちゃんおばあちゃんになってよく出てくるんですよね。最終的に最後の最後はそれが人間の仕事だって感じがしますが、私達はやはり神の愛を持ってどう歩んでいくかどうか、特にその子供のときの傷を乗り越えていけるかっていうのが心理的な私たちの大きな課題じゃないかなというふうに思いますね。
実際その主人公の魔法使いのハウルっていう人も、子供時代に心を失うっていう呪いなんですよ。心が取られちゃう。だからその彼は冷たい人間になって、非常に冷血な人になっちゃうわけですよね。その代わりに魔法の力を手に入れる。
ですけど、でもソフィーの努力によって、ハウルは自分の心を取り戻すことができるんで、最後の最後に彼は本来の自分の人間性を取り戻すっていうことになるんですけれども、私達は一人ひとりそんなに深刻なね、呪いがかかってる人は少ないとはもちろん思いますけれども、やはり神の愛の中で私達が歩んでいくならば、困難や苦しみも乗り越えてる力が与えられることですね。
神の愛が本当に今日はこの七五三の子供たちに注がれるように、そして社会の貧しい人、弱い人に注がれるように、やはり死に行く人や、歳をとって苦しんでる人にも神の間に注がれるようにですね、そして私達が愛のうちに歩んでいけるように今日はですね、七五三と、この貧しい人のために祈る、その心を大事にしながら歩めるように、ともに祈りとミサを捧げたいと思います。
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