【ミサ説教】ルカ福音書3章15-16、21-22節「手を放す、軽くなる、満ちていく」
ルカ福音書3章15-16、21-22節「手を放す、軽くなる、満ちていく」2025年1月12日主の洗礼のミサ六甲カトリック教会
今日の福音書朗読とお説教の聞きどころ
- 洗礼の恵みは古い自分に死んで、新しい人として生きることです
- 古い自分にしがみついていては聖霊の恵みを受け取ることができません
- 手放し、身軽になると、聖霊で満たされるのです
藤井風さんの「満ちていく」 https://youtu.be/ptiK8U4WlSc
福音朗読 ルカ福音書3章15-16、21-22節
15〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」
21民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、
22聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
手を放す、軽くなる、満ちていく
今日はイエス様が洗礼を受けたところですね。それを受け、記念している日ですけども、洗礼者ヨハネがヨルダン川の辺りで、洗礼を授けていたユダヤ人の清めの儀式、ミクベというのですけれども、この水で清める罪を清めるということですね。割と神道の考え禊と似たようなものですけれども、普通はその神殿に入ってお参りする前にする儀式を洗礼者ヨハネが、このヨルダン川のところでですね、回心のこの儀式だけをリニューアルする形でダイナミックにそれを行っていた。だから多くの人がそこに行ってですね、その悔い改めの洗礼を受けて、新たに自分たちの生き方をスタートしようという気持ちになったんだと思います。
イエスもそこに来て、洗礼を受けられたということですけれども、やはりただ水でなんて言うんすかね額に水をかけるだけではなくて、体ごとですねヨルダン川に沈むようなですね、水浴びだったわけですけどもそれはやはり罪である古い自分に死ぬというか、罪を洗い流すとかですね、全てを清めるというか、そういう気持ちで皆さんが与って新たな生き方をしようというふうに思ったと思います。
イエスの洗礼によって開かれた豊かな恵み
イエス様が洗礼を受けたことによって、ただ単に悔い改めだけではなくて、この天が開いてですね、この聖霊が恵みゆたかに、洗礼を受けるということの新たな意味がイエス様の洗礼によってつけ加わった。神の恵みを全身で受け止めるような恵みの世界が、イエス様の洗礼によって開かれたという。そうですね、これは私達、ここに集まってる方々の多くの人が洗礼を受けておられると思いますから、古い自分自身を捨てて新しい自分を洗礼によって聖霊の恵みを受けて生きていくということですよね。その恵みをまた新たにですね、この思い起こし、それを生きることができたらいいのではないかないうふうに思います。
「満ちていく」の歌をめぐって
去年の年末の夜は紅白歌合戦があって、大体その深夜ミサがあるので大体いつも全部は見ないんですけど、ちょっとだけ見てて一番印象的だったのは藤井風っていうんですね。男性の歌手がアーティストがいるんですけど、彼が歌った歌がこの「満ちていく」っていうですね。ものすごいスピリチュアルな宗教的な悟りを歌ってるんですね。若いけどなんでこんなに深い歌を歌うのかっていうか、びっくりするんですけど、チャラチャラしたあの恋愛ソングとか全く歌わないですよね。
何かもっと深いスピリチュアルな歌詞なんですけど、今回歌っていた歌が「満ちていく」っていうとこなんすけど、サビがですね、「手を放す、軽くなる、満ちていく」っていう手を放すということで全てを手放す。そこから入って、全てを手放すことによって軽くなって、それで満ちて満たされていくというね、そういう歌なんですけれども。
水に沈むってことは実際には手放すっていうか、全てを委ねる、そこによって自分が軽くなって、そこでキリスト教的にまず聖霊の恵みを受けて満たされていくことですね。彼は別にその神様は出さないので、その誰にとか、何に対してはないないんですけど何もないけれど全てを差し出すよと。誰にはないんですけど私達はやっぱり全てを神様に差し出す、全て手放して委ねて、それで心が軽くなって、それで私達は神の恵みで満たされていく。満ちているということですね。
結局私達は何でもかんでもしがみついてるっていうんですかね、手放さないから、あれもこれもと執着やとらわれがあるから結局なかなか空回りして問題から出すことができない。むしろそれを手放したら、むしろそこで自分の心の囚われがから解放されて、軽くなる。それで私達は神の恵みをしっかり感じることができるということですね。
ついでに言うとその満ちていくっていうその彼の動画がもちろん出てるんですけどちゃんと水に沈む場面も何か出てるんですよね。不思議ですね。私達がやはり神の恵みを得るっていうことは、むしろ強い古い自分を手放してるんですかね。執着や何かを手放すことによって開かれてくる恵みの世界、そういうことを大事にすることができたらいいのではないかというふうに思います。
手放すことの大切さ
前にも時々話す話なんですけど、日本じゃなくて外国人の神父さんなんですが、彼の召し出しの話が印象的で、若いときにイエズス会に入るか入らないかずっと悩んでてですね、そのときに交通事故に遭ってですね、瀕死の重傷で、意識不明の重体ぐらいだったですね。ICUの中で何日も意識が朦朧としてるんですけど、その中で彼は夢を見るんですね。どういう夢かって言ったら崖内で落ちそうなんですよ。木の根っことか木の株かなんか一生懸命捕まってですね、とにかく持って。離したら断崖に落ちていくから、もう必死でそれにしがみついてる夢をてずっと見ててですね。だけどなかなか症状もうまく安定しない。そのときに夢の中で声がしてる、天から声がして、どういう声かって言ったら手放せっていう声。必死で、これを放したら終わりだと思ってしがみついてんのに、上からくる声は手放せと。当然手放せないわけですよね。もう下に落っこちるから。でも結局同じ夢をずっと見るんで、とうとう彼は諦めて、その夢の中で手放したんですよね、しがみついてる根っこというか切り株の。そして手放した後に、劇的に彼の体が回復して、元に戻って、その手放したことがきっかけで彼はイエズス会に入る決意をして、それで彼は神父になったんですけども、手放すっていうことの大切さっていうかですね。
大体しがみついてますからねいろいろ。これがなかったら駄目だとか、こうなんだとか。だから何かそこから何か結局動かない。でもそれを一旦手放してみることによって、私達の何か本当の囚われのところがから解放されて、軽くなって、そして本当に大事なところに、物に、それは私達にとって聖霊ですけど、聖霊の恵みに満たされる。あるいは方向が示される。本当に大事なものと大事でないものが、そのときになってやっと明らかなそのようなものが私達の信仰の恵み、洗礼恵みの一番の基礎じゃないかなと思いますね。
私達が本当に大事にすべきものを大事で大事にしなくていいものを大事にしないで、そこから手放して自由になって、本当に神のみ旨を私達が果たしていくことができるようにですね、神様にこのイエス様の洗礼の恵みのそれによって、私達もその恵みのうちに、本当の大事なもので満たされて、神恵みのうちに導きのうちに歩んでいけるようにですね、神様の力と恵みを願いたいと思います。
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