【ミサ説教】マタイ福音書4章12-23節「従った理由」

マタイ福音書4章12-23節「従った理由」2026年1月25日年間第3主日防府カトリック教会
無名のイエスに最初の弟子たちが網や舟を捨てて従ったのはなぜでしょう。彼らは闇の只中で「大きな光」を感じたからです。現代も人は不安や空虚の中で擬似的な光(推し活や流行)に引き寄せられますが、真の救いにはならないでしょう。聖イグナチオが世俗的栄光から回心したように、イエスこそ消えない喜びを与える光です。その光を見分け、日常で生きる力とし、分かち合うことが求められているのではないでしょうか。

『The Chosen – 選ばれし者』の動画は、今でも動画配信しているサブスクリクションで見られるようですね。
福音朗読 マタイ福音書4章12-23節
12イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。13そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。14それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
15「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、
16暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
17そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
18イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。19イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。20二人はすぐに網を捨てて従った。21そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。22この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
23イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
従った理由
今日の福音書は、ヨハネの4章の真ん中あたりですけれども、とうとうイエス様がこの福音宣教というか、メシアとして活動を始めるところのところが朗読されました。
イエス様が悔い改めよ、天の国は近づいたと、カファルナウムの町で宣言して、そして最初にした彼の活動は何かといったら、弟子を選ぶというですね、今日は4人の弟子を選ばれるわけですけれども、ちょっとここを読んで、何て言うんですかね、このイエス様も、まあ、何でこの4人を選んだのかということを疑問がありますが、でもこの4人の、若かったか中年だったか、ペトロはもう中年だっただろうと思われますけれども、兄弟ヨハネの方は、まあちょっと若かったかもしれないですけど、イエス様に呼ばれて網を捨てたりとか、舟と父親を残してイエスに従ったという、どうもちょっとびっくり、びっくりなんですよね。
イエス様が有名だったら、それは従って行こうと思うかもしれないですけれど、まあ、活動を始めたばかりの全く無名の人だったわけで、イエス様は。突然私に従えと言って、普通はちょっと従えないんじゃないかと思いますけれども、この弟子たちは何を思って従ったのかというのは、実はちょっと謎ではありますけれども、時々、ユダヤ教の歴史の中では、自分がメシアだと言って人を扇動してするような人たちは、実はしょっちゅう現れてきていて、イエス様が本物か偽物かも分からないし。何でこの人たちはそんなに舟とか網捨ててぱっと従えたのか。もし間違った人に付いていたら大変なことだったんじゃないかなというふうには思いますよね。
もちろん現代でも、オウム真理教の麻原彰晃とか統一教会の文鮮明とか、そういう人に声をかけられて従ってきた人はいっぱいいて、それで破滅の道を歩む人もいるわけだから、誰に従うのか案外難しいですけど。こんな時に一番最初の最初によく従ってたなというのは不思議に思いますね。
多分私はルカの5章にあるように、ペトロが網を打っていてですね、魚が取れなかったから、イエス様の命令で魚をあれしたらたくさん取れた。不思議な大漁ですけど、ああいうことがあってイエス様に従ったという方が現実的かなという気はしますけれども。
数年前ですけれど、「The Chosen」というアメリカでイエス様の弟子たちのドラマがあってですね、「Chosen」というのは選ばれた者というんですけど、その中でルカの5章のシーンが出てきて、魚がいっぱい取れて、実はあの時、ペトロが借金ですごく悩んでいて困っていた時に、大漁があって、たくさんの魚で借金、税金をためていたやつを払って弟子になるというストーリーになっているんですけど、それは何か分かる気がしますね。
つまり、イエス様と出会った人が今日のイザヤ書にあるんですけど、暗闇に住む民は大きな光を見、死の影の家に住む者に光が差し込んだ。暗闇の人に大きな光を感じたから、イエス様に従っって言うんですかね。だから詳しい説明はそれほどないんですが、この4人の弟子もやっぱり大きな光を感じて、彼らがどういう影というか、暗闇を感じていたかはちょっとわからないですけど、何らかの暗闇というか、救いのない状態だったところに、イエス様という存在が大きな光、光として感じたので、それで従うことができたということですよね。
私たちはやはりこの中に来ている人は信者さんが多いと思うんですけれども、どういう日頃の生活の中で暗闇を感じていて、でもイエス様を通してどういう光を見出して、私たちは生きているのかということですよね。
それを改めて問いかけて、私たちが光であるイエス様、何で光であって、それがどのように私たちを照らして導いてくださっているのかということをしっかり意識して歩むことができたらいいんじゃないかなと思います。
最近読んだ小説で。あまり皆さん読まないかもしれない角田光代という流行作家で、わりと流行っている女性の作家ですが、最近の本で「神様ショッピング」と言ってですね。神様、ショッピングって言うから、ちょっとタイトル的にはどうかなということでありますけれども、短編集なんですけどね。
中年の女性で、大体主人公が中年の女性で、それでいろいろ迷っている。苦しみとか悩みとか、大きな悩みとか、小さな事を抱えている人がいて、その人が世界の有名な巡礼地に行くんですよね。宗教の巡礼地に行って、そこで体験したことをオムニバスのようにいろいろ書いてあってですね、日本の神道の神社に行くこともあれば、チベットとかですね、インドのガンジス川とかいろいろカトリックも2つぐらい出てきて、サンチャゴデコンポステーラとパリの不思議なメダイの教会とかなんかに行って、このカタリナ・ラブレーのところに行ったりとか、いろいろあるんですけど、でも大体のストーリーはそういうところに行くんだけど、結局自分の暗闇が晴れたか晴れないかよくわからないまま帰ってくるみたいな感じで、救われてるのか救われてないのか、本当の光を見出すこともできずに日本に帰っちゃうみたいな話で、日本人の今の気持ちを表している気もしますよね。
何かもやもやしたものが中にあって、神様に救いをもたらす救いを求めてどこかに行くけど、あんまり引っかからなくて、結局もやもやのままっていうのかな。そういうことは私たち日本人の中に多いかもしれないと思いますね。
さらにもう一つ、今ベストセラーになっている小説で、朝井リョウという人の「IN THE メガチャーチ」っていう本が今もまだベストベストセラーのランキングに入ってるんですけど、朝井リョウの「IN THE メガチャーチ」IN THE メガチャーチって英語ですけど、日本語で言ったら巨大な教会の中で、メガチャーチっていうのはこのものすごいでっかい教会という意味なんですけど、巨大な教会の中でというタイトルなんですね。
中身を知らずに私は宗教の話だろうと思って、キリスト教の話かなと読んだら、全く関係ないお話で、アイドルグループを売り出す話なんですよね。このアイドルグループを売り出すっていうことが実は宗教なんだということで。プロデューサーが、これは宗教なんですと、このグループをいわば神様のようにして売り出して、信者を獲得しなきゃならないという中で、実は恐ろしいお話なんですよね。それでお金を稼ぎましょうと。つまり、このアイドルグループを売り出すことによって、多くの信者を集めて多くの献金を集める、そういうことなんだということで、それで主人公の中年の男性広告代理店に勤める、男性が騙す側というか、引っかける側に回っていて、その人に娘さんがいて、大学の娘さんがいて、娘さんが実は引っかけられる側になっていて、この親子がそれを知らずに話が進んでいくという、ちょっと怖いお話で。
こっちの小説すごく流行ってるんですが、結局多くの人が暗闇というか、何かもやもやの中で生きていて、光を見出したいと思っていて、その光をいわば今の社会はお金儲けとしてアイドルグループを、これを押したら今推し活と言われるんですけれど、推し活をさせて、それでお金を稼ぐと。
でもそれが本当の光かと言ったら、当然本当の光ではなくて、一時的に何か熱狂的に気持ちがスッキリして、この辛い現実を忘れていけるように見えるけれども、でもそれが本当の救いかどうかっていうのは非常に難しいわけですよね。
実際、角田光代のように鬱々して神様を求めているけれども見つからないというタイプなのか、あるいは神様以外のだから、この本の中に書いてあるんですけれど、別にアイドルでなくても何でもいいというのは、趣味の世界でも音楽でも、何でもかんでもいいから、とにかくエセ宗教的に何かを流行らせばそこでお金が儲かる。
だから私たちも何か神様以外のものに推し活してストレス発散になるけれども、でも本当の救いにならない。そういうのが私たちの日本人の今の状況かもしれないですね。
そして私たちは本当のところ、イエス様に本当の光を見出して、自分の生活の中で。
私たちも鬱々したり、モヤモヤしたり、何かスッキリしないことは日常生活がありますけど、その中でイエス様を通して、その光を私たちが本当に見出していくことができるか。それが私たちにとって一番大事なことですし、その光を本当に解放する光を多くの人と分かち合っていけるかどうかというですね。
それは大きなことじゃないかなというふうに改めて思います。
イエズス会の創立者が聖イグナチオロヨラという人が、かなり前ですよね。
もう500年ぐらい前の話ですけども、やっぱりこの世的な人で、闇とは言えないかもしれないですけど、いわゆる軍人だったんですよね。軍人で戦争して、それで勝利を得て、名誉を得てみたいな生活をして。騎士物語が好きでそれを読んでたんですけど、戦いで負傷して寝込んでしまってね。それで休養せざるを得なくて。でももう一回復帰して頑張ろうと思ってて。騎士物語を読みたかったんですけど、その家は信心深くて、そういう世俗的な本が全くなくて、聖人伝とイエス様の伝記みたいな文しかなかったんですよ。それを彼は読んでいるうちに、この世の王様に仕えるよりも、本当の王であるイエス様に仕える方が、もっと大きな光と恵みと力を得る。この世的なことを考えたら喜びがあるけど、しばらくしたら消えちゃう。でも、イエス様に従っていくことを考えたら、喜びが消えないというんですかね。大きな光が彼の中でもっともっと強くなっていって、それこそ本当の光に彼が出会って、彼はだから本を読んで回心したんですよね。誰かに人に出会ったわけじゃなくて。
いろいろな道があると思いますけれども、私たちもイエス様の本当の救いの光を見出しながら、ついつい他のものに私たちも囚われたり、闇の中で鬱々とすることもあるかもしれないですけど、私たちには本当の救い主が本当にこの闇から救い出してくださる、言わば唯一の方を私たちが知っているわけですから、そのイエス様の力を信じて、あるいはイエス様の力を本当の意味で私たちの生きていく力にして歩めるように祈りましょう。
日本全体がモヤモヤしているような感じもしますけれども、私たちが本物をしっかり求めて、本物の中で歩んでいけるように、神様の恵みを願いたいと思います。
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