【ミサ説教】ルカ福音書4章1-13節「三番目の誘惑」

ルカ福音書4章1-13節「三番目の誘惑」2025年3月9日四旬節第1主日ミサ六甲カトリック教会
今日の福音書朗読とお説教の聞きどころ
- 望みが叶うように祈るのとき、それが神のみ旨かどうかよくきいて見ることが大切です
- 神のみ旨を謙遜に果たしていくならば、苦しみの中にも喜びと心の平安があるはずです

三番目の誘惑が一番キツかったという説。
福音朗読 ルカ福音書4章1-13節
1〔そのとき、〕さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
2四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
3そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
4イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
5更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。6そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
7だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」 8イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』
と書いてある。」
9そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
10というのは、こう書いてあるからだ。
『神はあなたのために天使たちに命じて、
あなたをしっかり守らせる。』
11また、
『あなたの足が石に打ち当たることのないように、
天使たちは手であなたを支える。』」
12イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。 13悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
三番目の誘惑
今日の福音書はイエス様が荒野でですね、誘惑を受けられた。40日間断食をしながらというですね。この40日間にやはりちなんで私達はですね、この四旬節の間40日間祈りと節制に励み、そしてこの悪の働きを退けていく、そのようなことを心がけていこうということになっているわけです。
2番目の誘惑のときに悪魔が言うんですよね。「この国の国々の一切の権力と繁栄を与えよう。それは私に任されていて、これと思う人に与えることができる」って書いてあるんですけど、結局この世の中のですね、いろんなことは全て悪霊の支配下にあるということで、お金が儲かったり、地位がですね、高まったりとか、権力を持ったり、それは全て悪霊が与えたい人に与えてるというふうに書いてあるんですけど、ある意味ちょっと恐ろしいことではあるけれども、実際そうかもしれないという気はしますが、でも私達は悪霊の支配下の中の社会の中に生きているので、私達はその中に巻き込まれてしまうことも多々あるので、間違いないですね。
でも私達はそういう中にあるからこそ、やはりときには自分の心を荒野に戻すっていうんですかね。何か囚われからちょっと離れたところに自分を置いて自分を見つめ直す。そして自分がどう振りまわされてるかをしっかりですね、見極めるときが必要だと思う。
だからこのような40日間ずっとというわけではいかないかもしれないですけど、祈りを深めたり、節制をしたり、自分の生活を整えることによって、何に自分が振り回されてるかということそれに気づいていく恵みのときが与えられてるというふうに言えるのではないかというふうに思います。
何が神のみ旨なのか
この今はちょうどちょっと前から始まってますが受験シーズンなので、受験のことをいろいろ考えたりするんですが、そのときにいつも思い出す1人のお母さん、信者のお母さんですが、息子がいて中学生ぐらいかなんかのときに何かお医者さんになりたいって言い出したんですよね。別に医者の家系でも何でもないですし、やっぱり医者になろうと思ったら、よっぽど頭がいいか、よっぽど家がお金持ちでないとなれない。有名な国立大学に行くには、相当頭が良くないと駄目だしそれが駄目だったら、やっぱり私立大学でも相当入学金等が高いんですよ。
その家は全くそんなのは関係ない庶民のうちで、慎ましく生活してて、公立行ってて、別に勉強も優秀なわけでもなかったんで驚いたけど、結局ご両親も、少なくとも塾に行くぐらいのお金ぐらい稼がなきゃならん、一生懸命場合、バイトしてですね、子供の夢がかなうように祈りの中でもですね、この息子の夢が叶うように一生懸命お祈りしていて、高3になって現役で受けたときはもう駄目だって一浪して、やはりその受けられる学校も決まってるんですよね、割となんていうお金がかからなくてそれほど偏差値の高くない学校は大体決まってですね、何校かそれを受けて、浪人でも受けても結局通らない。ここを受けても通らない、ここを受けても通らない、で結局最後の最後の一つを受けて、合格発表の前の日それはもうお母さんも必死でその息子のためにお祈りしていて、もう何年も何年もですね、ちょっと息子のためにひたすらお祈りしたけれども、結局考えたら、それは何か神様の御望みなのかどうなのか聞いたことが一度もない。息子の望みでもあるし、親の望みなんだから、ずっとお祈りしてきたけど、ふと立ち止まってやっぱなんかそれをもしかしたら間違ってるかもしれないっていうふうに思ってですね、そこで祈り方を変えて、初めて神のみ旨にかないますよというお祈りを初めてしたと言ってました。それまでずっと合格するように合格するようにと、結局その最後の最後に神の旨になりますようにとお祈りした翌日の合格発表で合格通知が出た。「ものすごく霊的な体験でした、というですね。それで終わりかと言ったらそのあとまたいろいろあって結局息子は医者にならない方がいいんじゃないかとかでも、いろいろ言ったり、いろいろなことがあってですね。だから本当に何がみ旨かわからないですけど、でも私達が最終的にできる祈りはそうかもしれない。
結局自分の望みにしても、それは家族の望みにしてももしかしたらそれは神の望みじゃなくて、この悪霊のですね、悪霊の方向性の望みである可能性がないとも限らない。つまり私達は自分の望みを叶えようとすることももちろん悪いわけじゃないですけど、でもそれ以上に、神のみ旨は何なのかをよく聞いて、それを果たしていこうとする謙虚さというかですね。この信仰の心がやっぱり必要でしょう。その方は息子さんが合格したけど、たとえそこで合格しなかったとしても、他の道に行ったとしても、やっぱりそれはお母さんとしては神のみ旨がやっぱり実践される、行われていくわけだから、それどっちになったとしても、やっぱり彼女はそれを受け入れて、その先に進んでいく。息子さんも、違う道を選んだら違う道で道を進んでいけたんじゃないかなとですね。私達がいかに神のみ旨を果たしていこうとするか。
いろいろな社会の中にいたらいろんな情報に流されたり、こっちがいいんじゃないかとみんながやってるからこっちがいいんじゃないかとか、ついつい考えたり、自分の安全とか保身とか世間体とかいろんなことを考えてしまいますけどやっぱり本当に何が神のみ旨なのかを私達は問いかけながら歩んでいくことができたらいいんじゃないかなと思いますね。
三番目の誘惑
三つの誘惑がありますが、イエス様にとっての最大の誘惑は何なのかって言ったら実は3番目だと思うんですね。神殿の屋根から飛び降りてパフォーマンスする。飛び降りて、ちょっとどういうことを考えたのか、空中浮揚が何かわからんけど、飛び降りても死なないってこと、空中でなんていうのかな、きっと止まるとかなんか、そういうパフォーマンスを三つ目の誘惑で描かれてますけどこれは僕はイエス様にとって誘惑だったらだろうなって実はすごく思うんですね。
そういう形でメシア宣言したら、ユダヤ教の神殿ですしね。一番そこでパフォーマンスするのに一番素晴らしいところで自分がメシアであるってことと、自分が神であるってことを何とか自己アピールするには最高のステージになりうるんじゃないかっていう。そういうふうにしてからイエス様が宣教活動する方がよっぽど盛り上がったんじゃないかなっていう。多分ね今の新宗教の教祖だったらそうすると思いますね。そういう、ちょっと何か、漁師捕まえてきてチョロチョロ走るよりは、何かバーンと洗礼の時代ですからね。SNSで今だったらばあっとみんなに撮ってもらって拡散したっていう感じです。
実際イエス様はこのパフォーマンスできたかできなかったかといったら、できたんですよ。
ご存知の通り、イエス様は海の上歩いたので、できるんです。空中浮揚もことは。ちょっと常人離れしたことですけど、でもそれをしたのは12人の弟子だけ、誰にも自己アピールするとかパフォーマンスじゃなくて、しかもこの夜のガリラヤ湖が嵐で、船が上手く進まない。そんな状況の中でたった12の弟子たちだけにひっそりと自分の本当の力を示されてるわけですね。
だから誘惑なんですよ。これやろうと思ったらできたんです。でも、それをそういうことは神のみ旨でないと。多分サタンの力が働いたらそっちを選んだと思います。イエス様でもそれを選ばないでどうしたかって言ったら、十字架の道に向かう。本当の謙遜の道をメシアとして彼は選んだんですから、やっぱりね、特別な選択っていうか、やっぱ特別な誘惑をイエス様は受けたと思います。
私達は凡人ですから、そんなね、なんかもうちょっとレベルの低い誘惑しかないですけど、でもやはり一人ひとりに神のみ旨が示される。多くのことは謙遜な仕方で、しかも神とともに歩む喜びもある。心の平安もある。そのようなことを、苦しみもありますけれども、大体は。そのみ旨を私達は果たしていくように呼ばれていますね。それをやはりこの四旬節に心がけていきたいと思います。
今日は洗礼志願式がありますから、この40日間というのは洗礼志願者の特別な準備の時期でもありますね。どういう準備かというと、悪霊と手を切る準備。悪霊と手を切ってイエス様に従っていくっていう準備ですから。神のみ旨に沿った生き方を私達ができるようにね、洗礼志願者とともにできるように、恵みと力を願いましょう。
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