テキスト版 ルカ福音書1章25~38節「神にできないことはなにひとつない」イスラエル聖地巡礼のミサ 受胎告知教会にて

ルカ福音書1章26~38節「神にできないことはなにひとつない」受胎告知教会イスラエル聖地巡礼のミサ
hanafusafukuin

ルカ福音書1章25~38節「神にできないことはなにひとつない」2010年3月2日 イスラエル聖地巡礼のミサ 受胎告知教会にて

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

マリア様がここの洞窟におられる時に、天使ガブリエルが現れて、そして、「おめでとう、恵まれた方、主があなたとともにおられる」というふうに言ったわけです。
全能の神様が使いを送って、その当時、14歳くらいだった、そういうか弱い女性に、人類の救いの第一歩を委ねられた。その記念すべき場所が、ここである、ということですね。

その時のマリア様の気持ちがどのようであったのか。本当に神様は小さな者を使われる。全能の方であるのだけれども、私たちの小さな協力を望まれている。その第一歩だと思います。
ガブリエルが言うんですね、「神にできないことは何ひとつ無い」と。神にできないことは何ひとつないけれども、でも、やはり協力者を必要としておられるわけで、その第一の協力者がマリア様だったわけです。この時のマリア様の気持ちがどうだったのか。み言葉の中からわかるのは、「この言葉に戸惑い、なんのことかと考え込んだ」と言うことと、「どうしてそのようなことがあり得ましょうか?」彼女の心の中には疑惑や戸惑いや恐れや、様々な思いが渦巻いていたと言うことは明らかだったと思います。

その、本当に尊い使命を彼女が受け入れると言うことは、やはり、どれほど大変だたったことかと言うことも、考えさせられることの一つですね。やはり神様は、それは明らかにそうだと思いますけれども、一人ひとりを召し出して、一人ひとりに使命を与えておられる。間違いなく、ここにおられる皆さん全員に、だと思います。それは、神様はできないことは何ひとつ無いけれども、でも、私たち一人ひとりの協力を望んでおられるんだと思います。

それがなんであるか、人によってはっきりしている人も居るでしょうし、わからない人も居るかもしれない。大事なのは、神の呼びかけに、私たちがマリア様のように「御言葉通りこの身になりますように」と言う受諾の言葉、神様に対して「はい」と言う、「そうします」と言う覚悟というか、信頼というか、そういう気持ちが私たちにも必要だと思います。

この、「神にできないことは何ひとつ無い」という全能の神様の力と、マリア様の、一人の女性としての小ささというか、そこに託していく神様もすごいし、それをマリア様が受け取られるということ、これも本当に凄いことだったと思います。
イエスの母となることは、どんなに大きな苦しみだったのか、どのように困難なことだったのか、もちろん、まだわかっていなかったと思います。でも、彼女がこの後、べツレヘムに行って、あるいは、エリザベトのところに行って、あるいは、エジプトに逃れて、そういう中で、どれほど大変なものであるのか、ということを実感したし、挫けそうなときもあったんではないかと思います。

その時に思い出した言葉、マリア様の心の中にあったものは、このガブリエルの言葉だったと思いますね。
「神にできないことは何ひとつ無い」と。
その神様の恵みに、どれだけ信頼して歩むことができるか。

私たちの周りにも、病気とか、死とか、苦しみとか、困難とか、私ちの周りにもあるし、世界中にもある。その中で、私たちはやはり、「神にできないことは何ひとつ無い」という神の救いの力をマリア様とともに信じていけるか、そしてマリア様とともに協力していけるか、このことが問われていることの一つだと思います。

マリア様はここで、まさしく、「仰せの如くなれかし」と返事をしたことが、神の救いの人間の側からの一歩だったんです。
でもその偉大な一歩があったからこそ、救いが成就したし、その偉大な一歩に私たちも倣いたいと思います。

本当に先ほどの洞穴の、洞窟のような感じの、実際貧しくて、普通の、30世帯くらいの小さな村に生まれた一人の女性に託された大きな使命だったわけですが、私たちも自分自身の貧しさや、足りなさを、十分自覚しつつ、全てのことが可能であるという神様に信頼して歩んでいけるように、マリア様のように100%信頼して歩んでいけるように祈りたいと思います。

記事URLをコピーしました