2022.05.05 2024.04.23 今日のみことばの黙想私はいのちのパンである 英隆一朗「私はいのちのパンである」(ヨハ6,48)。パンは食べられるためにある。食べられて、何もなくなった時にその使命を全うする。パンであるイエスも同じ。食べられてこそ、意義がある。そのパンに養われているキリスト者も、人に食べられる存在でありたい。1日の終わりに何もなくなるような、そんな生き方ができるように。